
オーストラリア軍が鳥に完敗!?歴史に残る珍事件「エミュー戦争」の全貌
「人類が鳥類に敗北した日」――。にわかには信じがたい話ですが、実際にオーストラリアで起こった奇妙な戦争の記録が残されています。相手はライオンやクマのような猛獣ではなく、オーストラリアに生息する巨大な飛べない鳥、「エミュー」でした。1932年...

「戦争」と聞くと、私たちは激しい戦闘や多くの犠牲を想像します。しかし、歴史上には、一発の銃弾も放たれず、一人の犠牲者も出さずに335年間も続いたとされる、非常に奇妙な戦争が存在します。それが、オランダとイギリスのシリー諸島の間で繰り広げられた「三百三十五年戦争」です。この信じられないような出来事は、どのようにして始まり、なぜこれほど長い間忘れ去られていたのでしょうか。そして、どのようにして終結を迎えたのでしょうか。今回は、この歴史の片隅に隠された、平和でユーモラスな「戦争」の物語を紐解いていきましょう。
この奇妙な戦争の根源は、17世紀半ばのヨーロッパにありました。当時のイングランドとオランダは、プロテスタント国家としてカトリックのスペインに対抗する同盟関係にありましたが、同時に海上貿易の覇権をめぐる激しい競争相手でもありました。
オランダは「世界の運送屋」と称されるほど巨大な商船隊を持ち、世界中の海上交易を支配していました。これに対し、イングランドは自国の商業的利益を守るため、1651年に航海法を制定します。これは、イングランドとその植民地への輸入は、イングランド船か原産国の船でなければならないと定めたもので、オランダの貿易モデルに直接的な打撃を与えるものでした。この法律は、翌年に勃発する第一次英蘭戦争の主要な原因となります。
同時期、イングランドは国王チャールズ1世を支持する国王派と、議会を支持する議会派との間で内戦(清教徒革命)の真っ只中にありました。1651年には議会派が優勢となり、国王派はイングランド本土の最西端、コーンウォール沖に浮かぶシリー諸島へと追い詰められます。この島々は、国王派の最後の拠点となり、ここから議会派だけでなく、中立国であるオランダの商船に対しても私掠行為(国家公認の海賊行為)を行いました。これにより、オランダの商船隊は甚大な損害を被ることになります。
オランダは、自国の商船が襲われる事態を看過できませんでした。しかし、シリー諸島はイングランドの一部であり、イングランド全体に宣戦布告すれば、同盟関係にある議会派との全面戦争に発展しかねません。このジレンマの中、一人の提督が大胆な行動に出ます。
オランダ艦隊を率いてシリー諸島に向かったのは、マールテン・ハーパーツゾーン・トロンプ提督でした。彼は少年時代に海賊によって父を殺され、自身も奴隷として売られた経験があり、海上の無法行為に対する強い憎しみを抱いていました。そのため、国王派の私掠行為は、彼にとって個人的な侮辱でもあったのです。
1651年3月30日、国王派が賠償要求を拒否すると、トロンプ提督はついに宣戦布告を行います。しかし、その対象はイングランド全体ではなく、あくまで「シリー諸島」という特定の地域に限定されていました。これは、議会派との同盟関係を壊すことなく、国王派の勢力にのみ軍事行動を起こすための、いわば「法的擬制」でした。当時の国際法が未発達であったこともあり、この宣戦布告の法的有効性については議論が残されていますが、トロンプ提督の強い意志がこの行動を後押ししたことは間違いありません。
しかし、この宣戦布告された「戦争」は、実際に戦闘が行われることなく終わります。わずか3ヶ月後の1651年6月、議会派の艦隊がシリー諸島を制圧し、国王派海軍は降伏。オランダの商船隊への脅威は取り除かれ、トロンプ提督の艦隊は本国へと帰還しました。
この帰還の際、オランダ艦隊は歴史に残る喜劇的な見落としを犯します。彼らは正式な和平を宣言しなかったのです。この小規模な出来事は、直後に勃発したより大規模な第一次英蘭戦争の陰に隠れてしまい、1654年のウェストミンスター条約によって英蘭間の包括的な和平が結ばれた際にも、シリー諸島との間の「戦争」については一切言及されませんでした。誰もが、この「戦争」がすでに解決されたものと見なしていたため、あえて条約に明記する必要はないと考えていたのです。
こうして、ロンドンとハーグの公式記録から「戦争」は姿を消しましたが、シリー諸島では、それは地元の民間伝承として語り継がれました。島の住民たちは、「自分たちはまだオランダと戦争状態にある」という風変わりな物語を、ユーモラスな逸話として大切に守り続けていたのです。
そして、3世紀以上の時を経て、この忘れ去られた戦争は、一人の郷土史家の探求心によって再び日の目を見ることになります。
1985年、シリー諸島議会の議長であり、熱心な郷土史家でもあったロイ・ダンカン氏は、島に伝わる「戦争継続中」という「神話」の真相を突き止めることを決意します。彼はロンドンのオランダ大使館に手紙を書き、この伝説に終止符を打つことができるかどうか問い合わせました。
驚くべきことに、オランダ大使館の調査の結果、シリー諸島との間に平和条約が締結された記録はどこにも存在しないことが判明します。この外交上の珍事に、オランダ大使のライン・ハイデコペル氏はユーモアをもって応じ、1986年4月17日、シリー諸島で平和調印式が執り行われました。
大使は「いつ我々が攻撃してくるかと知っていたシリー島の住民の方々は、さぞかし恐ろしかったことでしょう」と冗談を飛ばし、和やかな雰囲気の中で335年間の「戦争」は公式に終結しました。この出来事は国際的なメディアの注目を集め、地元の奇譚は世界を和ませる美談へと変わったのです。
三百三十五年戦争は、まさに歴史のパラドックスと言えるでしょう。暴力が一切伴わなかったため、そもそも「戦争」と呼べるのかという議論はありますが、宣戦布告という法的な行為が存在した以上、その存在を完全に否定することはできません。この物語は、私たちに紛争、法、そして国家の本質について深く問いかけます。
この奇妙な戦争は、現代のシリー諸島のアイデンティティと観光マーケティングにも統合され、島のユニークな歴史として語り継がれています。それは、官僚主義の隙間、人々の記憶、そして歴史の片隅に平和と良き物語を見出す人間の能力を象徴する、魅力的なエピソードなのです。
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