
エッフェル塔を二度売った男!伝説の詐欺師ヴィクトル・ルスティヒの華麗なる騙しのテクニック
エッフェル塔を二度売った男!伝説の詐欺師ヴィクトル・ルスティヒの華麗なる騙しのテクニック 歴史には、常識を覆すような驚くべき事件が数多く存在します。その中でも、一人の男がフランスの象徴であるエッフェル塔を、なんと二度も「売却」し...

アメリカのゴリアテ:カーディフの巨人と、それに欺かれた国家の真実の物語
表1:カーディフの巨人騒動における主要な出来事
カーディフの土から現れた巨人
1869年10月16日の朝、ニューヨーク州中部の穏やかなオノンダガの谷は、後に国中を巻き込むことになる騒動の震源地となった。ウィリアム・「スタブ」・ニューウェルという名の農夫の所有地で、ギデオン・エモンズとヘンリー・ニコルズという二人の労働者が、納屋の裏手で井戸掘りの作業に取り掛かっていた 5。彼らのシャベルが深さ3フィートほどの地点で硬い何かに突き当たった時、それは日常的な作業が一変する瞬間だった。土を丁寧に取り除いていくと、まず現れたのは巨大な人間の足の形であった 11。数時間の格闘の末、彼らが掘り出したのは、全長10フィート(約3メートル)にも及ぶ、石と化した巨大な人間の姿だった 4。
この「発見」のニュースは、カーディフの小さな村から瞬く間に広まった。ニューウェルはすぐさま巨像の上にテントを張り、見物料を取り始めた 4。当初の驚きは、やがて熱狂へと変わり、この「カーディフの巨人」は生物学上、あるいは神学上の大発見として全米に報道された 4。
しかし、この驚くべき発見は、孤立した出来事ではなかった。それは、南北戦争後のアメリカ社会が抱える特異な精神的土壌から生まれた必然の産物であった。ダーウィンの進化論が伝統的な宗教観を揺るがし、産業革命が世界を急速に変えていく中で、人々は確かなものと驚異的なものの両方を渇望していた 11。この時代は「デマの黄金時代」とも呼ばれ、骨相学、心霊主義、催眠術といった疑似科学が、教育のある層からない層まで、幅広い人々を魅了していた 13。これらの「科学」は、厳密な科学的手法よりも、むしろ道徳的・精神的な関心事と結びつき、娯楽の要素を多分に含んでいた 13。
このような背景は、アメリカ国民を欺瞞に対して脆弱にしていた。疑似科学の流行は、科学的な探求とエンターテインメント、そして精神的な信仰との境界線を曖昧にしていたのである。人々は、感情や信仰、あるいは驚異への欲求に訴えかける「科学的」な主張に慣らされており、厳密な証拠よりも、もっともらしい物語を受け入れやすい精神状態にあった 16。カーディフの巨人の成功は、単なる偶然や人々の純朴さの表れではなく、この時代の知的風潮が育んだ、体系的な脆弱性につけ込んだ結果だったのである。
ある無神論者の壮大なる企て
この壮大なデマの首謀者、ジョージ・ハルは、単なる詐欺師として片付けられる人物ではない。彼はニューヨーク州ビンガムトン出身の葉巻製造業者であり、議論好きの無神論者で、正式な教育は受けていないものの、科学に深い関心を寄せていた 1。彼の複雑な人格こそが、この前代未聞の計画を生み出す原動力となった。
全ての始まりは1866年、ハルがアイオワ州アックリーの親族を訪れた際に遡る 2。そこで彼は、メソジスト派の巡回牧師であるターク師との間で激しい口論を繰り広げた 1。論点は、旧約聖書の創世記6章4節にある「そのころ、地上には巨人がいた」という一節の解釈であった 10。ターク牧師がこの記述を文字通りの事実として揺るぎなく信じていることに、無神論者のハルは苛立ちを覚えた。彼は、人々のこの種の盲信的な信仰心を嘲笑し、その愚かさを白日の下に晒してやりたいという衝動に駆られた。この時、彼の頭脳に、壮大なデマの種が蒔かれたのである 5。
ハルの計画は、単に金儲けを目的としたものではなかった。もちろん、彼は2,600ドル(現在の価値で6万ドル以上に相当)という大金を投じており、その回収と利益を狙っていたことは間違いない 1。しかし、彼の動機の核心にあったのは、イデオロギー的な挑戦であった。彼は、宗教的原理主義者の軽信性を暴き、同時に大金を稼ぐという二重の目的を抱いていた 11。
この観点から見ると、カーディフの巨人は、アメリカ史上最も初期かつ成功した、詐欺を装った大規模な社会実験と位置づけることができる。ハルは、特定のイデオロギーを持つ人々を対象に、彼らの信念を逆手に取ってその脆弱性を証明しようとした。彼は「人々は自らの既存の信念を裏付けるものであれば、容易に騙される」という仮説を立てた。そして、その仮説を検証するための刺激として「巨人の化石」を制作し、その結果として巻き起こる国中の熱狂を観察したのである。ハル自身、後にデマを告白した際、キリスト教社会が物事をあまりにも安易に信じる傾向を暴き、巨人伝説への原理主義的な信仰に対抗することが目的だったと誇らしげに語っている 1。このデマは、彼にとって単なる詐欺ではなく、人間心理と社会の脆弱性を探る、 cynical ながらも巧妙な研究だったのである。金銭的な利益は、その実験の成功がもたらした副産物に過ぎなかった。
巨像の誕生:ビールと秘密と硫酸と
ハルの壮大な計画は、1868年に実行段階へと移った。最初の舞台は、アイオワ州フォートドッジの石膏採石場であった 2。ハルは仲間と共に、重さ5トン、高さ3.2メートルの巨大な石膏の塊を調達した 4。地元の人々の疑念をかわすため、彼はこの石塊がエイブラハム・リンカーンの記念碑に使われるのだと説明した 4。しかし、この巨大な石塊の運搬は困難を極めた。重さに耐えきれず、いくつかの橋やハルの荷馬車が壊れてしまい、彼はやむなく石塊の一部を削り落とさざるを得なかった。このアクシデントにより、後に完成する巨人の姿は、彼の当初の構想よりもやや「窮屈な」ものとなった 2。
石塊は鉄道でシカゴへ運ばれ、ドイツ人石工エドワード・バーカートの工房へと秘密裏に搬入された 2。ハルはバーカートともう一人の石工サールを雇い入れ、3ヶ月間、彼らを缶詰状態にして彫刻作業にあたらせた 4。秘密を守るため、ハルは工房をキルトで覆って槌音を消し、職人たちには口止め料代わりに大量のビールを振る舞ったという 2。そして、このデマにおける最大の皮肉であり、ハルの自己顕示欲の表れとして、彼は自ら裸でポーズをとり、巨像のモデルとなった 4。
ハルは、この偽造品に説得力を持たせるための「芸術的」な仕上げにも細心の注意を払った。彼は独学で古生物学をかじり、毛髪は石化しないという結論に達したため、巨像は禿頭で髭もない姿にされた 2。皮膚の毛穴を再現するために、鋼鉄製の編み針を埋め込んだ板で表面を叩き、何千年もの間、土中で風雨に晒されたかのような古びた質感を出すために、硫酸で表面を処理した 1。さらに、地下水による浸食を模倣するため、像の下面を濡れた砂でこすって溝を作った 2。
この偽造の巧妙さは、科学的な正確さを追求した点にあるのではなく、むしろ非専門家の心理を巧みに突いた点にある。古生物学者のオスニエル・チャールズ・マーシュのような専門家は、一目見ただけで真新しい道具の跡や石膏という材質を見抜き、これを偽物だと断定した 4。しかし、ハルの目的は専門家を欺くことではなかった。彼の狙いは、一般大衆の想像力を掻き立てることであった。毛穴の再現や酸による染みといった細部は、科学的な証拠としてではなく、信憑性のある「物語」を語るための舞台装置として機能した。人々は、古生物学の知識がないため、これらの表面的なディテールに感銘を受け、その物体の持つ「驚異」に心を奪われた 11。ハルは、完璧な偽物を作ることよりも、人々が信じたくなるような「そこそこ良くできた」偽物を作ることの重要性を理解していた。彼の偽造は、科学に対する挑戦ではなく、大衆心理を操るための演劇だったのである。
完成した重さ約3,000ポンド(約1,360キログラム)の巨像は、厳重に木箱に詰められ、ニューヨーク州へと再び鉄道で輸送された。そして、ハルの従兄弟であるウィリアム・ニューウェルの農場まで、5日間かけてゆっくりと陸路を運ばれた。道中、好奇心旺盛な農夫たちに中身を尋ねられると、ハルは鋳物だの、タバコの圧搾機だの、記念碑だのと、様々な嘘を並べ立てた 2。1868年11月の雨の夜、巨像はついにニューウェルの農場の納屋の裏手に埋められ、その壮大なデビューの日まで、約1年間、静かに土の中で眠りについた 2。
熱狂の渦:科学と信仰の激突
1869年10月16日の「発見」後、カーディフの巨人は地方の珍事から、瞬く間に国中のセンセーションへと発展した。ニューウェルは巨像の上にテントを設営し、見物料として当初25セント、すぐに50セントを徴収し始めた 3。噂は新聞の見出しを飾り、「アメリカのゴリアテ」として報道され、全米から1日に数百人もの人々がカーディフに押し寄せた 4。この熱狂は地元の経済を潤し、ホテルやレストランはかつてないほどの活況を呈した 1。
しかし、科学界の反応は冷ややかだった。イェール大学の著名な古生物学者オスニエル・チャールズ・マーシュは、巨像を短時間検分しただけで、「極めて最近の起源であり、断固たるペテンである」と一蹴した 4。彼は、石膏という柔らかい素材に残された生々しいノミの跡は、もし本当に古代のものであれば、とうの昔に風化しているはずだと指摘した 5。他の専門家たちも、井戸を掘るには不自然な場所であることや、地質学的な矛盾を突き、これを「科学的でっち上げを名乗るには、あまりに図々しい」と断じた 4。
それにもかかわらず、科学者たちの冷静な分析は、熱狂する大衆の声にかき消された。特に、キリスト教原理主義者たちは、この巨像を創世記の記述が真実であることの動かぬ証拠として熱烈に支持した 4。彼らにとって、巨人はダーウィンの進化論を否定し、聖書の文字通りの真実性を証明する、神からの贈り物であった。シラキュースのある牧師は、「この驚くほど保存状態の良い姿を見て、我々の感覚が示す証拠を否定し、これが化石化した人間であるという明白な事実を信じようとしない人間がいるとは、奇妙なことではないか」と書き記している 10。
一方で、一般の見物人の多くは、真偽そのものよりも、この巨大な謎がもたらす「驚異」の体験に魅了されていた。高名な思想家ラルフ・ワルド・エマーソンでさえ、ボストンでの展示会に足を運び、この物体が放つ不思議な魅力に感嘆したと伝えられている 11。人々は、それが本物か偽物かを議論すること自体を楽しんでいた。
この状況は、カーディフの巨人の成功の核心を突いている。ハルとニューウェルが販売していたのは、単なる石像の見物チケットではなかった。彼らが収益化していたのは、科学と信仰、懐疑と盲信の間で繰り広げられる、国を挙げた大論争そのものであった。人々が満場一致で巨像を本物だと信じても、あるいは偽物だと断定しても、その魅力は半減していただろう。価値を生み出していたのは、まさにその不確実性であり、人々が自ら参加し、意見を戦わせることができる公開討論の場であった。このデマの真の天才性は、人々を二つの陣営に分け、その対立自体を見世物に仕立て上げた点にある。論争が続く限り、見物人の流れは途絶えることはなかった。ビジネスモデルの根幹は、その巨大なクエスチョンマークにあったのである。
興行の王、P・T・バーナムの参戦
カーディフの巨人が巻き起こした熱狂は、当然のことながら、19世紀アメリカ最大のショーマンであり、「ペテンの王子」の異名を持つフィニアス・テイラー・バーナムの耳にも届いた 20。見世物になりそうなものなら何でも嗅ぎつける彼の嗅覚は、この石の巨像に莫大な利益の匂いを嗅ぎ取った。バーナムは、巨像の所有権を持つディビット・ハナム率いるシンジケートに対し、展示のために5万ドルでの購入、あるいは6万ドルでのリースを申し出た 1。
しかし、シンジケートがこの破格の申し出を拒否すると、バーナムは彼の真骨頂ともいえる大胆不敵な行動に出た。彼は密かに代理人を雇って巨像の型をワックスで取らせ、精巧な石膏のレプリカを作成させたのである 1。そして、ニューヨークにある自身の博物館でそのレプリカの展示を開始し、あろうことか
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