警察を嘲笑う「最高傑作」― なぜ昭和の完璧な偽札事件は迷宮入りしたのか?

事件の不思議

1961年、日本中を震撼させる一枚の偽千円札が発見されました。それは、専門家をも唸らせる日本の偽札史上「最高の芸術品」とまで呼ばれた、あまりにも完璧な偽物でした。

警察コード「チ37号」。

犯人は、警察が発表する偽札の欠点を次々と“修正”し、より完璧な偽札を生み出すという、前代未聞の挑戦状を叩きつけます。15万人の捜査対象者、2万台の印刷機調査、そして日本銀行を巻き込んだ空前の捜査網も、この見えざる天才の前では無力でした。

なぜ犯人は捕まらなかったのか?そして、なぜ完璧な犯行は突然止んだのか? 戦後日本最大のミステリー、「チ37号事件」の真相に迫ります。


「最高傑作」の誕生:あまりにも精巧な偽千円札

事件の幕開けは、1961年12月7日。日本銀行秋田支店で、廃棄予定の紙幣の中からその偽札は発見されました。一般の商店ではなく、銀行の最終処分段階で見つかったという事実が、その品質の高さを物語っていました。

偽造犯の驚くべき技術力

偽造されたのは聖徳太子が描かれたB号千円券。その精巧さは、まさに「最高傑作」と呼ぶにふさわしいものでした。

  • 用紙の質:本物の紙幣に使われる三椏(みつまた)に近い、特有の手触りを再現。偽札単独では判別がほぼ不可能でした。
  • すき入れ(透かし):当時の高度な偽造防止技術であった「1000」の数字と日銀マークの透かしも、巧みに模倣されていました。
  • 肖像の細部:聖徳太子の肖像も精緻に再現。警察が「目尻が本物より下がっている」と発表すると、犯人はそれを修正した改良版を流通させました。
特徴真正B号千円券の仕様チ37号偽札(初期)の欠陥チ37号偽札(改良後)の特徴
用紙の質三椏を主原料とする特有の紙質僅かな厚みや手触りの違いがあったが、判別は極めて困難。高品質を維持。
肖像精緻な凹版印刷「肖像の目尻が本物より下がっている」と報道された。報道された欠点を修正し、より本物に近づけた。
記番号褐色または暗緑色のインキ「WR789012T」が右下がりに配列されていた。「DF904371C」などが真っ直ぐに配列された。

警察との「いたちごっこ」

この事件を最も特徴づけるのが、犯人の驚くべき適応能力です。警察がメディアを通じて偽札の欠点を公表するたびに、犯人はそれを“修正”し、より完璧な偽札を作り出したのです。

これは、犯人が警察の捜査を注意深く監視し、挑発していたことを示唆しています。警察の発表は、意図せずして犯人に「品質管理レポート」を提供してしまうという、皮肉な結果を生みました。


捕らえどころのない犯人:空前の大捜査

警視庁は捜査第三課を投入し、戦後最大級の捜査網を敷きました。

  • 動員規模:偽造前歴者など約15万人、印刷機約2万台が捜査対象となりました。
  • 報奨金:警視庁は有力情報に1万円、全国銀行協会は100万円という破格の懸賞金を提示。当時の国家公務員の初任給が1万数千円だった時代、その本気度がうかがえます。
  • モンタージュ写真:静岡県で偽札を使用したとされる男の目撃証言からモンタージュ写真が作成・公開されましたが、逮捕には至りませんでした。

警察は、犯人の居場所を特定するために地方紙にだけ情報を流すなど、様々な戦略を駆使しましたが、神出鬼没の犯人を捕らえることはできませんでした。

年月日/期間警察の行動・発表犯人の対応・状況
1961年12月7日秋田で最初の偽札発見、捜査開始。
〜1963年全国22都府県で計343枚発見。偽札の流通継続。
時期不明(初期)警察が偽札の特徴(記番号が右下がり等)を報道。欠点を修正した改良版が出現。
1962年9月6日警察と銀行協会が高額な懸賞金を発表。
1963年3月静岡県で目撃情報、モンタージュ写真公開。
1963年11月4日最後のチ37号偽札発見。これ以降、犯行が停止。
1973年11月4日公訴時効成立、捜査打ち切り。事件は未解決のまま終結。

社会への波紋:紙幣デザインまで変えた衝撃

「最高傑作」の偽札は、日本社会に大きな影響を与えました。

通貨への信頼の揺らぎ

これほど精巧な偽札の存在は、国民の間に「自分の持っている千円札は本物か?」という深刻な不安を広げました。金融界も通貨の信頼失墜を恐れ、高額な懸賞金を出す事態となったのです。

紙幣デザイン変更の引き金に

チ37号事件の最も永続的な影響は、千円紙幣のデザイン変更でした。偽造の対象となった聖徳太子のB号券は、事件の渦中である1963年に、伊藤博文の肖像を用いた新しいC号券に切り替えられたのです。

これは、チ37号の脅威に直接対応し、より偽造が困難な新技術を導入するための緊急措置でした。一人の(あるいは一味の)偽造犯が、国家のデザインポリシーをも変えさせた瞬間でした。


なぜ事件は迷宮入りしたのか?

完璧な犯行は、なぜ未解決に終わったのでしょうか。

  1. 卓越した偽造技術:最大の要因は、偽札のあまりの品質の高さでした。多くが気づかれずに流通し、追跡を困難にしました。
  2. 犯人の高い適応能力:警察の発表を逆手に取り、製品を改良する知能犯でした。
  3. 当時の捜査技術の限界:1960年代の科学捜査では、犯人を特定する決定的な証拠を見つけられませんでした。
  4. 突然の犯行停止:1963年11月を最後に、偽札はぱったりと姿を消します。新紙幣の登場で犯行を諦めたのか、あるいは別の理由があったのか、その真相は謎のままです。

1973年11月4日、公訴時効が成立。日本の犯罪史に燦然と輝く(あるいは暗い影を落とす)この事件は、公式に迷宮入りとなりました。


結論:チ37号が残した謎と教訓

チ37号事件は、一人の天才、あるいは非常に統制の取れた小規模グループが、国家の権威を相手に仕掛けた知能戦でした。

犯人は誰だったのか?その動機は金か、それとも挑戦か?そして、なぜ彼らは忽然と姿を消したのか?

これらの問いに答えが出ることは、もうありません。しかし、「チ37号」の物語は、通貨セキュリティの重要性と、人間の創意工夫が時に国家をも凌駕しうることを示す、魅惑的な未解決事件として、これからも語り継がれていくことでしょう。

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