世界最強の英国海軍が学生に完敗した奇妙すぎる「偽エチオピア皇帝事件」

事件の不思議

1910年、世界最強と謳われた大英帝国海軍が、大胆不敵ないたずらの標的となり、国中の笑いものになるという前代未聞の事件が起きました。

仕掛け人は、裕福な学生たち。その中には、なんと後に20世紀文学を代表する作家となる、若き日のヴァージニア・ウルフの姿もありました。

彼らはアビシニア(現エチオピア)の皇族一行になりすまし、英国海軍の誇る最新鋭戦艦「ドレッドノート」にまんまと乗り込みます。

ブンガ・ブンガ!

この謎の言葉と共に、彼らは英国の絶対的な権威をからかい、歴史に残る大いたずらを成功させました。この記事では、その巧妙な手口、海軍の赤っ恥エピソード、そして事件が残した意外な影響まで、世紀の悪ふざけの全貌を解き明かします。


事件の背景:エドワード朝の英国と仕掛け人たち

この奇想天外ないたずらが計画されるに至った背景には、当時の英国社会の空気と、常識にとらわれない若者たちの存在がありました。

標的は帝国の象徴「ドレッドノート」🚢

20世紀初頭、英国海軍は大英帝国の威信の象徴でした。その中でも、1906年に就役した戦艦「ドレッドノート」は、それまでの全ての戦艦を旧式化させるほどの画期的な性能を誇りました。『超ド級』の語源になったとも言われる世界最強の戦艦だったのです。

この英国のプライドの塊を標的に選んだこと自体が、いたずらグループの並外れた大胆さを示していました。成功すれば、英国海軍にとってこれ以上ない屈辱となることは間違いありませんでした。

首謀者は伝説の“いたずら王” ホレス・ド・ヴィアー・コール

この計画を率いたのは、ホレス・ド・ヴィアー・コールというカリスマ的な人物。ケンブリッジ大学在学中から、手の込んだいたずらで名を馳せた伝説の「いたずら王」です。

1905年には、友人と共にザンジバルのスルタンの叔父になりすまし、ケンブリッジ市長をまんまと騙して公式訪問を果たすという「前科」もありました。ドレッドノート号事件は、彼のいたずら人生の集大成ともいえる、最も大胆な挑戦だったのです。

共犯者は若き日のヴァージニア・ウルフ

コールと共にこの悪ふざけに加わったのは、後に「ブルームズベリー・グループ」として英国文化に大きな影響を与える、若き知識人たちでした。

中でも特筆すべきは、当時ヴァージニア・スティーヴン、後の高名な作家ヴァージニア・ウルフです。彼女は顔を黒く塗り、付け髭をつけて「アビシニアの王子」の一人に扮しました。彼女の弟で、コールの“共犯仲間”でもあったエイドリアン・スティーヴンが「通訳」役を務め、画家のダンカン・グラントらが「王子」役として参加しています。

氏名事件での役割後年の活動・特記事項
ホレス・ド・ヴィアー・コール首謀者、「王子」の一人悪名高きいたずら常習犯
ヴァージニア・スティーヴン「王子」の一人(付け髭、黒塗り)ヴァージニア・ウルフとして著名な作家
エイドリアン・スティーヴンアビシニア一行の「通訳」精神分析家、事件に関する本を出版
ダンカン・グラント「王子」の一人ブルームズベリー・グループの画家

このいたずらは、彼らが後に示すことになる、既成概念や権威への挑戦的な精神の初期の現れと見ることができます。


計画実行:大胆不敵な潜入劇

周到に練られた計画は、1910年2月7日に実行に移されました。

変装と準備:にわか仕立ての王子様👑

一行は舞台衣装店でローブやターバンを調達し、ブラックフェイスのメイクと付け髭で「アビシニア人」に変装1。エチオピアの公用語であるアムハラ語は話せないため、ラテン語やギリシャ語をもとにした全くのでたらめな言葉で会話し、通訳役にすべてを任せる作戦でした。

海軍を欺く偽の電報と特別列車

計画の核心は、公式連絡を偽装することでした。仲間の一人が「外務大臣」を名乗り、艦隊司令官宛に偽の電報を打ちます。

「アビシニアのマカレン王子一行が本日午後4時20分にウェイマスに到着する。ドレッドノートの見学を希望しているので、気持ちよく対応せよ」

さらにコールは「外務省のハーバート・チャムリー」と名乗って駅長に電話し、ロンドンからウェイマスまでの特別貴賓車まで手配させることに成功しました。

珍妙な歓迎:国旗も国歌も“代用品”

ウェイマス駅に到着した一行を、海軍は栄誉礼をもって出迎えました。しかし、ここで早くも珍事が発生します。海軍はエチオピアの国旗も国歌も分からなかったため、代わりにザンジバル王国の国旗を掲げ、ザンジバルの国歌を演奏したのです。

一行がこの儀典上のミスに全く反応しなかったため、海軍はかえって安堵し、彼らの正体を疑うことはありませんでした。

艦上の狂騒:謎の言葉「ブンガ・ブンガ!」

いよいよ一行は、英国海軍が誇るドレッドノートの艦内へ。彼らはデタラメな言語で会話し、艦内の設備を指差しては、感嘆の言葉としてこのフレーズを連呼しました。

「ブンガ、ブンガ!(Bunga, Bunga!)

この全く意味不明な言葉は、後に事件を象徴する有名なキャッチフレーズとなります。驚くべきことに、一行の一員であるヴァージニアたちの従兄弟もドレッドノートに乗艦していましたが、変装した彼らに全く気づかなかったそうです。


事件の余波:赤っ恥の海軍と大流行した謎の言葉

いたずらが成功に終わると、首謀者のコールは自らマスコミに連絡。変装姿の記念写真まで送りつけ、事件は一気にロンドン中の知るところとなりました。

笑いものになった英国海軍

世界最強の海軍は、一夜にして国中の笑いものになりました。新聞はこぞってこの事件を報じ、風刺の格好の的となったのです。海軍の権威は地に落ちましたが、相手が悪意のない学生だったため、厳しい処罰を求めれば求めるほど、かえって度量が狭いと嘲笑されるジレンマに陥りました。

処罰なき結末?お尻ペンペンの儀礼的制裁

一行は法律を犯したわけではなかったため、法的な訴追は困難でした。結局、ヴァージニアを除く男性メンバー全員が、若手海軍将校たちから儀礼的に尻を鞭で打たれるという、非公式な罰を受けることで決着しました。

「ブンガ・ブンガ!」の大流行

事件後、「ブンガ・ブンガ!」というフレーズは英国で大流行。替え歌が作られるなど、社会現象となりました。その人気はすさまじく、第一次世界大戦中の1915年、ドレッドノートがドイツの潜水艦を撃沈した際には、「BUNGA BUNGA」という祝電が送られたという逸話まで残っています。かつての屈辱が、時を経て伝説的なジョークへと昇華した瞬間でした。


歴史に残る大いたずらの意義

ドレッドノート号事件の参加者たちは、その後それぞれの分野で大きな足跡を残しました。特にヴァージニア・ウルフは、20世紀を代表する作家として世界的な名声を得ます。

権威を笑い飛ばす風刺とユーモアの力

この事件は、単なる悪ふざけを超えた、社会風刺の一形態として評価することができます。それは、強大な権威がいかに脆く、ステレオタイプや先入観がいかに人の目を曇らせるかを白日の下に晒しました。

ユーモアが権威に挑戦する力、そして人々が「格上の相手」をやり込める手の込んだいたずらに魅了される現象は、今も昔も変わりません。


結論:「偽エチオピア皇帝事件」が現代に語るもの

偽エチオピア皇帝事件、あるいはドレッドノート・ホウクスは、その比類なき大胆さと、権威がまんまと騙された滑稽さによって、歴史にその名を刻みました。

100年以上が経過した今もなお、この物語は人々の想像力をかき立てます。それは、エドワード朝時代の英国社会、その価値観、そして若き知識人たちが持っていた不遜な精神を垣間見せる、ユニークな窓です。

この「世紀の大いたずら」は、権威がいかに脆く、人間がいかに滑稽であり得るか、そしてユーモアがいかに強力な武器となり得るかを、時代を超えて私たちに語りかけているのです

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