青い海、揺れるヤシの木、そして優雅に腰を揺らすフラダンサー。 私たちが「ハワイ」と聞いて思い浮かべる、平和で美しい光景です。
しかし、もし、このフラが単なる美しい踊りではなく、神聖な儀式であり、法律や歴史を記録する図書館であり、そして国家の存亡をかけた闘いの象徴であったとしたら…?
さらに、このフラが、かつて「淫らで野蛮な踊り」として、法律で公に踊ることを禁止されていた時代があったとしたら、信じられるでしょうか。
これは、楽園ハワイの裏側に隠された、壮大な文化の謎を解き明かす物語です。なぜ、フラは弾圧されなければならなかったのか。そして、その絶望的な状況から、ハワイの人々はいかにして自らの「魂の鼓動」を取り戻したのか。歴史のファイルに記録された、知られざる闘争の真実に迫ります。
第1章:神々の踊り、王たちの歴史書 – フラは「踊り」ではなかった
この物語を理解するために、まず、私たちのフラに対するイメージを一度リセットする必要があります。 西洋文化と出会う前の古代ハワイにおいて、フラは単なる娯楽ではありませんでした。それは、社会の根幹をなす、極めて神聖で重要な制度だったのです。
火山の女神が生んだ踊り
フラの起源は、ハワイの神話にまで遡ります。 その主役は、火山の女神ペレと、その妹でフラの女神とされるヒイアカ。物語は、嫉妬、裏切り、そして壮大な戦いを経て、姉の激しい怒りを鎮めるためにヒイアカが舞った踊りが、最初のフラになったと伝えています。
この神話が示すように、フラは単なる人間の踊りではなく、神々と自然、そして人間を繋ぐ神聖な儀式でした。
文字を持たなかった社会の「図書館」
古代ハワイには、文字がありませんでした。では、どうやって歴史や法律、王族の系図といった重要な情報を記録し、後世に伝えていたのでしょうか。 その役割を担ったのが、フラでした。
- メレ(詠唱詩)とオリ(詠唱): フラで語られる物語や祈りは、「メレ」や「オリ」と呼ばれる詠唱によって伝えられます。言葉には「マナ(霊的な力)」が宿ると信じられていたため、詠唱は極めて神聖な行為でした。
- フラ(身体表現): ダンサーは、その手や体の動きで、詠唱の内容…波の動き、風のそよぎ、神々の戦い、王の偉業などを、物理的に表現します。
つまり、フラダンサーは、動く歴史書であり、歩く法律書だったのです。フラを学ぶ場所「ハーラウ」は、単なるダンススクールではなく、神聖な儀式が行われる神殿であり、国家の重要機密を保管する図書館であり、次世代のリーダーを育成する大学でもありました。
第2章:楽園に訪れた「罪」の概念 – 魂の弾圧
この神聖な伝統を根底から揺るがす出来事が、1820年に起こります。アメリカからやってきた、プロテスタントの宣教師たちの上陸です。
彼らの目には、ハワイのすべてが「野蛮」で「異教的」なものとして映りました。そして、その中でも特に激しい嫌悪の対象となったのが、フラでした。
なぜ、フラは「淫ら」だと断罪されたのか?
宣教師たちがフラを「淫らで、不道徳だ」と非難した理由は、単に肌の露出が多いからではありません。その根底には、「身体」に対する、西洋とハワイの根本的な価値観の衝突がありました。
- ハワイの価値観: 身体は、神聖な物語を宿し、神々と交信するための「聖なる器」である。
- 宣教師の価値観: 身体は、人間を誘惑し、堕落させる「罪の源泉」である。
宣教師にとって、神聖な物語を、官能的ともいえる腰の動きで表現するフラは、理解不能な、そして許しがたい「神への冒涜」に他なりませんでした。
この対立は、ハワイ社会に深刻な亀裂を生みます。 キリスト教に改宗した強力な女王摂政カアフマヌは、宣教師たちの影響を受け、1830年、ついに公の場でフラを踊ることを禁じる法律を発令します。 ハワイの人々の魂の鼓動であったフラは、その公的な地位を奪われ、暗い地下へと潜っていくことになったのです。
第3章:王の抵抗 – 「陽気な君主」の華麗なる逆襲
数十年にわたる弾圧の時代を経て、フラに再び光を当てようとする一人の英雄が現れます。 ハワイ王国第7代国王、デイヴィッド・カラカウア(在位1874-1891年)です。
芸術を愛し、「陽気な君主」として知られた彼は、増大するアメリカの政治的圧力に対抗するためには、失われつつあるハワイ固有の文化を復活させ、国民の誇りを取り戻すことが不可欠だと考えました。 彼は、有名な言葉を残しています。
「フラは心の言語であり、したがって、ハワイの人々の魂の鼓動である」
戴冠式での大勝負
そして1883年、カラカウア王は、自らの戴冠式の祝祭で、世間を驚かせる大勝負に出ます。 数十年間、公には禁じられていたフラの公演を、3日間にわたって、祝祭の中心として大々的に披露したのです。
これは、依然として強力だった宣教師たちの影響力に真っ向から逆らう、極めて大胆な政治的パフォーマンスでした。彼は、フラが恥ずべき過去の遺物ではなく、近代国家ハワイのアイデンティティの中核をなす、誇るべき芸術であることを、世界に宣言したのです。
このカラカウア王の後援のもと、古代の要素と、ギターやウクレレといった西洋の楽器を融合させた、新しいスタイルのフラ「フラ・クイ」が生まれ、フラは息を吹き返しました。
第4章:「フラガール」の誕生と、失われた魂
しかし、この文化復興の時代は、長くは続きませんでした。 1893年、アメリカ系移民によるクーデターによってハワイ王国は転覆。1898年にはアメリカに併合されてしまいます。
主権を失ったハワイで、フラは再びその姿を変えることを余儀なくされました。今度の敵は、宗教的な弾圧ではなく、商業主義でした。
急成長する観光産業は、フラを外国人観光客向けの「商品」として消費し始めます。
- ハパ・ハオレ・フラ: 英語の歌詞と、ラグタイムやジャズのようなアメリカの音楽スタイルを取り入れた、分かりやすくエキゾチックな「観光客向けのフラ」が流行します。
- ハリウッドが作った「フラガール」: ハリウッド映画は、草のスカートにココナッツのブラをつけた、誘惑的に腰を振る「フラガール」という、性的でステレオタイプなイメージを世界中に広めました。
この商業化の波の中で、フラの神聖な意味、歴史的な背景、そしてかつては男性も重要な踊り手であったという事実は、人々の記憶から急速に消え去っていきました。 フラの魂は、再び失われようとしていたのです。
第5章:魂の鼓動、再び – 現代によみがえるフラの力
そして20世紀後半、ハワイの人々の間で、自らのアイデンティティを取り戻そうとする、力強い文化復興運動「ハワイアン・ルネッサンス」が起こります。その中心にあったのが、古代のフラ「フラ・カヒコ」の復活でした。
軍事爆撃に、踊りで立ち向かった人々
この運動を象徴するのが、聖なる島「カホオラヴェ島」を巡る闘いです。 何十年にもわたって米海軍の爆撃演習場として使われ、無残に破壊されていたこの島を、ハワイアンの手に取り戻そうとする運動が起こります。 この時、活動家たちが武器として用いたのが、古代の詠唱とフラでした。彼らは、爆撃で荒れ果てた島に上陸し、儀式としてのフラを舞うことで、その土地の神聖さを訴え、非暴力の抵抗を示したのです。
世界一のフラの祭典へ
この文化復興のもう一つの原動力が、ハワイ島ヒロで毎年開催される「メリー・モナーク・フェスティバル」です。 元々は、町の活性化のための単なるお祭りで、髭のそっくりさんコンテストなども行われていました。しかし、1970年代に、ハワイ文化の保存を目的とした、世界で最も権威あるフラの競技会へと生まれ変わったのです。 このフェスティバルは、商業化によって失われかけていた、フラの神聖で伝統的な側面を蘇らせ、その技術と精神を次世代に伝える、最も重要なエンジンとなりました。
結論:歴史のファイルに刻まれた、楽園の闘争
フラの物語は、単なる踊りの歴史ではありません。 それは、一つの文化が、植民地主義、宗教的弾圧、そして商業主義という巨大な波に、いかにして立ち向かい、自らの魂を守り抜いてきたかという、壮絶な闘いの記録です。
神聖な儀式から、禁止された踊りへ。そして観光客向けの商品から、文化的抵抗の象さえも。フラは、その姿を何度も変えながら、ハワイの人々の歴史と共にあり続けました。
カラカウア王が言ったように、フラはまさに「ハワイの人々の魂の鼓動」。 そのリズムは、どんな弾圧にも消されることなく、今日、かつてないほど力強く、そして美しく、世界中に響き渡っているのです。
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