生きた猫や蛇、赤子まで?歴史上最も食欲旺盛な男「タッラール」の悲劇的な生涯

人物の不思議

18世紀フランス、革命の混沌の中から、歴史上最も不可解な医学的症例として知られる一人の男が現れました。

その名はタッラール

彼は、一日で自身の体重に匹敵する量の牛肉を平らげ、生きた猫を骨までしゃぶり尽くし、石やコルク、蛇さえも丸呑みにしたと言われています。その飽くなき食欲は、彼を見世物小屋の人気者から、軍事スパイ、そしてついには赤子食いの疑惑をかけられる怪物へと転落させていきました。

この記事では、著名な軍医が残した記録を元に、科学がまだ彼の異常性を解明できなかった時代に生きた一人の人間の、驚愕と悲劇に満ちた生涯を再構築します。


第一部:見世物小屋の怪物 ― 飽くなき食欲の目覚め

タッラールの物語は、1772年頃、フランス・リヨンの近郊で始まりました。

異常な食欲と放浪

幼少期から彼の食欲は常軌を逸しており、10代にして一日で自身の体重(約45kg)と同じ量の牛肉を平らげることができたといいます。貧しい家族は彼を養いきれず、家から追い出してしまいました。

放浪の末、彼はその特異な能力が金になることに気づきます。大道芸人として、観衆の前でコルクや石、生きた動物を飲み込み、籠一杯のリンゴを次々と丸呑みにして人々を驚かせました。

異形の身体

あれほど大量に食べるにもかかわらず、彼の体重は生涯を通じてわずか45kg程度しかなく、常に痩せていました。その身体は、彼の食欲に適応するかのように、異様な特徴を備えていました。

  • 異常な皮膚の伸縮性:空腹時、腹部の余った皮をベルトのように腰に巻くことができましたが、食後は腹部が「巨大な風船」のように膨れ上がりました。
  • 巨大な口:頬を伸ばすと、12個の卵やリンゴを口の中に含むことができたと記録されています。
  • 耐え難い悪臭:彼の体からは常に強烈な悪臭が放たれ、食後には目に見えるほどの湯気が立ち上ったといいます。

彼の身体は、見世物芸の「舞台」であると同時に、彼を社会から隔絶し、絶え間ない飢餓に苦しめる「牢獄」でもあったのです。


第二部:兵士、そして医学的被験者へ

フランス革命戦争が勃発すると、タッラールは軍隊に入隊しますが、軍の糧食では到底彼の食欲は満たされず、ゴミ捨て場を漁るまでに困窮。やがて極度の疲労で倒れ、軍事病院に収容されます。

冷徹な医学実験

ここで彼は、著名な軍医バロン・ペルシーらと出会い、患者から「医学的被験者」へとその立場を変えます。医師たちは、倫理という概念がまだ確立されていなかった時代に、冷徹な実験を開始しました。

  • 食事量の限界測定:15人の労働者用の食事(巨大なミートパイ2つ、約15リットルの凝乳など)を瞬く間に平らげ、すぐに深い眠りに落ちました。
  • 生きた動物の捕食:生きた猫を歯で引き裂いて血を啜り、骨だけを残して食べ尽くしました。同様に、蛇、トカゲ、子犬も食べたといいます。
  • 体内通過実験:密書を入れた木箱を飲み込ませ、翌日排泄させる実験に成功。

悲喜劇的なスパイ任務

この体内通過実験の結果は、アレクサンドル・ド・ボーアルネ将軍(ナポレオンの最初の妻ジョゼフィーヌの前夫)の耳に入り、前代未聞のスパイ任務が考案されます。密書入りの箱をタッラールに飲み込ませ、敵陣を突破させようというものでした。

しかし、ドイツ語を一言も話せないタッラールは国境を越えてすぐに捕縛。拷問の末に計画を自白し、プロイセン軍は彼が排泄した箱を手にしますが、中身は「これはテストである」という趣旨の無価値な伝言でした。激怒したプロイセン軍は、彼を殴りつけ、模擬銃殺刑に処して恐怖を植え付けた後、送り返しました。


第三部:闇への転落と悲劇的な最期

スパイ任務の失敗とトラウマは、タッラールの精神を深く傷つけました。彼は病院に戻り、この食欲を治してほしいと懇願しますが、あらゆる治療法は失敗に終わります。

禁断の食欲

飢えに耐えきれなくなった彼は、病院を抜け出し、野良犬と残飯を奪い合い、屠殺場で臓物を漁るようになりました。やがて彼の行動はエスカレートし、病院内で他の患者から抜き取られた血液を盗み飲みしたり、死体安置所に忍び込んで遺体を食べようとしたりするところまで目撃されるようになります。

赤子食い疑惑と追放

そして、彼の物語における最も衝撃的な転換点が訪れます。病院から生後14ヶ月の赤ん坊が忽然と姿を消したのです。

直接的な証拠は何一つありませんでした。しかし、これまでの彼の常軌を逸した行動は、彼に疑いの目を向けるには十分すぎる状況証拠となっていました。この疑惑により、タッラールは医学的被験者から社会が排除すべき脅威へと見なされ、病院から追放されてしまいます。

死、そして最後の「見世物」

社会から拒絶され、4年後の1798年、タッラールは瀕死の状態でヴェルサイユの病院に再び姿を現しました。重度の結核に罹患していた彼は、長く続く下痢に苦しんだ末、26歳という若さでその数奇な生涯を閉じました。

彼の遺体は急速に腐敗し、耐え難い悪臭を放ちましたが、一人の医師が解剖を強行。その所見は驚くべきものでした。

  • 内臓は全体が化膿し、腐敗して混じり合っていた。
  • 肝臓と胆嚢は異常なまでに肥大。
  • 胃は腹腔のほとんどを占めるほど巨大化し、内壁には無数の潰瘍が広がっていた。
  • 食道は異常に広く、口を開けると胃の内部まで直接見通せるほどだった。

彼の身体は、死してなお、最後の「見世物」として医師たちの好奇心を刺激したのです。


結論:タッラールとは何者だったのか?

タッラールの不可解な症状は、一体何だったのでしょうか。現代医学では、いくつかの仮説が立てられています。

考えられる病状裏付け症状矛盾点
甲状腺機能亢進症極度の食欲、体重増加の欠如、多汗、高体温異食症(石などを食べる)を説明できない。
プラダー・ウィリー症候群満腹感を感じない過食症通常は肥満を伴うが、タッラールは痩身だった。
視床下部/扁桃体の損傷空腹と体温を調節する視床下部、感情や摂食行動に関わる扁桃体の損傷物理的な脳の損傷を証明する手段がない。

最終的に、タッラールの物語は、単なる医学的奇譚としてではなく、一人の人間の悲劇として記憶されるべきです。彼は、自ら制御できない肉体の牢獄に囚われ、時代の医学では理解も治療もされず、社会からは好奇と恐怖の目で見られ、最後は人間としての尊厳を剥奪されました。

怪物として記録された男、タッラールの物語は、200年以上を経た今もなお、「正常」と「異常」の境界線とは何かを、私たちに問い続けているのです。

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