1869年10月16日、ニューヨーク州の静かな農村カーディフで、世界を揺るがす大発見がありました。 農夫のウィリアム・ニューウェルの土地で、井戸を掘っていた作業員のシャベルが、地中深くで硬い何かに突き当たったのです。 土を丁寧に取り除いていくと、そこに現れたのは…全長3メートルにも及ぶ、石と化した巨大な人間の姿でした。
この「カーディフの巨人」のニュースは、瞬く間に全米を駆け巡ります。 「旧約聖書に記された、古代の巨人の化石に違いない!」 科学と宗教が激しく対立していた時代、この発見は、聖書の記述が真実であることを証明する、神からの贈り物だと、多くの人々が熱狂しました。
しかし、もしこの驚くべき発見が、聖書の真実を嘲笑うために、一人の無神論者が仕掛けた、壮大な「嘘」だったとしたら…?
これは、南北戦争後のアメリカ社会が抱える、信仰、科学、そして「信じたい」という人々の願望が生み出した、歴史上最も有名なデマ騒動の物語。今回は、歴史のファイルに記録された、この巨大なミステリーの、驚くべき真相に迫ります。
第1章:ある無神論者の壮大なる企て – すべては口論から始まった
この壮大なデマの首謀者は、ジョージ・ハル。ニューヨーク州出身の葉巻製造業者であり、議論好きの無神論者でした。
全ての始まりは1866年、ハルがアイオワ州で、メソジスト派のターク牧師と交わした、激しい口論に遡ります。 論点は、旧約聖書・創世記にある「そのころ、地上には巨人がいた」という一節。 牧師が、この記述を文字通りの事実だと固く信じていることに、無神論者のハルは苛立ちを覚えます。
「人々は、なぜこれほどまでに、盲目的に物事を信じ込むのか。彼らの愚かさを、白日の下に晒してやりたい」
この時、彼の頭脳に、壮大なデマの種が蒔かれました。 それは、単なる金儲けを目的としたものではありませんでした。宗教的原理主義者の軽信性を暴き、社会を嘲笑し、そしてついでに大金を稼ぐという、皮肉な社会実験の始まりだったのです。
第2章:巨人の誕生 – ビールと秘密と硫酸と
ハルの壮大な計画は、1868年に実行に移されます。 まず、彼はアイオワ州の石膏採石場で、重さ5トンにも及ぶ巨大な石膏の塊を調達。「リンカーン大統領の記念碑に使うのだ」と、地元の人々を煙に巻きました。
石塊は、鉄道でシカゴの工房へと秘密裏に運ばれ、ドイツ人石工エドワード・バーカートの手によって、3ヶ月かけて彫刻されます。 ハルは秘密を守るため、工房をキルトで覆って音を消し、職人たちには口止め料代わりに大量のビールを振る舞ったといいます。
そして、このデマにおける最大の皮肉であり、ハルの自己顕示欲の表れとして、彼は自ら裸でポーズをとり、この巨像のモデルとなったのです。
ハルは、この偽造品に説得力を持たせるための「芸術的」な仕上げにも、細心の注意を払いました。
- 毛穴の再現: 鋼鉄製の編み針を埋め込んだ板で、像の表面を丹念に叩き、皮膚の質感を再現。
- エイジング加工: 何千年もの間、土中に埋まっていたかのような古びた質感を出すため、硫酸で表面を処理。
- 浸食の偽装: 地下水による浸食を模倣するため、像の下面を濡れた砂でこすって溝を作る。
1868年11月の雨の夜、完成した巨像は、ついにハルの従兄弟の農場の納屋の裏手に埋められ、その「発見」の日まで、約1年間、静かに土の中で眠りについたのでした。
第3章:熱狂の渦 – 科学と信仰の激突
1869年10月16日の「発見」後、カーディフの巨人は、国中のセンセーションとなります。 見物料50セントを払って、この「アメリカのゴリアテ」を一目見ようと、全米から1日に数百人もの人々が、カーディフの小さな村に押し寄せました。
科学界の反応は、冷ややかでした。 イェール大学の著名な古生物学者オスニエル・チャールズ・マーシュ(後に「化石戦争」で有名になる人物)は、巨像を一目見るなり、こう一蹴します。 「極めて最近の起源であり、断固たるペテンである」
しかし、科学者たちの冷静な分析は、熱狂する大衆の声にかき消されました。 特に、キリスト教原理主義者たちは、この巨像を、ダーウィンの進化論を打ち破り、聖書の記述が真実であることの動かぬ証拠として、熱烈に支持したのです。 ある牧師は、「これほど明白な事実を信じようとしない人間がいるとは、奇妙なことではないか」と、科学者たちを非難しました。
高名な思想家ラルフ・ワルド・エマーソンでさえ、この物体が放つ不思議な魅力に感嘆したと伝えられています。人々は、真偽そのものよりも、この巨大な謎をめぐる大論争そのものを楽しんでいたのです。 このデマの真の天才性は、人々を「信じる者」と「疑う者」の二つの陣営に分け、その対立自体を見世物に仕立て上げた点にありました。
第4章:興行の王、P・T・バーナムの参戦 – 偽物の偽物という謎
この国を挙げた熱狂を、19世紀アメリカ最大のショーマン、「ペテンの王子」ことP・T・バーナムが見逃すはずがありませんでした。
彼は、巨像の所有者に対し、5万ドルでの購入を申し出ますが、断られます。 すると、バーナムは彼の真骨頂ともいえる、大胆不敵な行動に出ました。 彼は、密かに巨像の精巧なレプリカを作成させ、ニューヨークにある自身の博物館で展示を開始。そして、あろうことか、自分の方が「本物」であり、カーディフにあるものこそが「偽物」だと、宣伝し始めたのです。
バーナムのこの戦略は、天才的でした。 彼は、単にデマを模倣したのではありません。彼は物語そのものを乗っ取り、「どちらの巨人が、本物の『見世物』なのか?」という、より複雑で魅力的な、新たなミステリーを創り出したのです。
オリジナルの所有者たちは、「我々の偽物こそが、本物の偽物だ!」と証明しなければならない、という、極めて滑稽な立場に追い込まれました。 大衆の関心は、巨像の真偽から、二人のショーマンの対決という、人間ドラマへと巧みに誘導されていったのです。
第5章:法廷と告白 – 壮大なデマの終焉
バーナムの策略に激怒した所有者たちは、彼を法廷に訴えます。 この時、所有者の一人、ディビット・ハナムが、バーナムの偽物に金を払う大衆の愚かさを嘆いて口にしたのが、あの有名な言葉です。 「騙される人間は、毎分生まれてくる(There’s a sucker born every minute)」 皮肉なことに、この言葉は後に、彼の商売敵であるバーナムのものとして、歴史に刻まれることになりました。
この訴訟は、当初から茶番でした。裁判官は「偽物を偽物だと呼んだことで、訴えられる法的根拠はない」と、訴えを退けます。 そして、この騒動のさなか、ついに首謀者であるジョージ・ハルが、報道機関に対して全てを告白。2ヶ月以上にわたる国中の熱狂は、公式に終焉を迎えたのです。
結論:歴史のファイルに隠された、アメリカの巨人の物語
しかし、驚くべきことに、ジョージ・ハルの告白は、カーディフの巨人の人気を終わらせることはありませんでした。 アメリカの大衆は、騙されたことに憤慨するどころか、このデマの巧妙さと大胆さを称賛し、愛情を込めて巨像を「オールド・ホーキシー(古き偽物おやじ)」と呼ぶようになったのです。
カーディフの巨人の物語は、単なる石の彫像をめぐる話ではありません。 それは、懐疑心と、それでも信じたいという願望。巧妙なペテンに対する、奇妙な称賛。そして、見世物の持つ抗いがたい力。そんな、アメリカ人気質に内在する、不思議な矛盾を映し出す鏡です。
現在、オリジナルの巨像は、ニューヨーク州の農民博物館で、その巨体を横たえています。 それは、科学と信仰、そしてペテンが、ニューヨーク州の片田舎の畑で衝突した、ある特異な時代の風変わりな記念碑として、そして、歴史のファイルに記録された、最も人間くさい物語の一つとして、今なお静かに、訪れる人々に語りかけているのです。
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