氷山空母「ハバクック計画」の謎。銃弾を跳ね返す“魔法の氷”は実在したのか?

歴史の不思議

旧約聖書の一節に、こうあります。 「わたしは一つの事を、あなたたちの時代に行う。人が語っても、あなたたちはそれを信じまい」

第二次世界大戦の最も暗い時代、イギリスの指導者たちは、まさにこの預言にふさわしい、信じがたいほど壮大な計画に、連合国の未来を託しました。 その名は「プロジェクト・ハバクック」。

全長600メートル、排水量220万トン。鋼鉄ではなく、で造られた、絶対に沈まない「氷山空母」を建造するという、前代未聞の計画です。 この巨大な浮遊島は、大西洋の真ん中に移動可能な航空基地を築き、連合国の生命線を脅かすドイツのUボート潜水艦の群れを殲滅するための、切り札となるはずでした。

この奇想天外な計画は、単なる空想ではありませんでした。英国首相ウィンストン・チャーチルがその実現を熱望し、国家の最優先事項として、秘密裏に進められた、実在の軍事プロジェクトだったのです。

なぜ、このようなまるでSFのような計画が、大真面目に検討されたのか。そして、その驚くべき結末とは。今回は、歴史のファイルに封印された、最も奇妙で、最も壮大な秘密兵器開発の謎に迫ります。


第1章:絶望の海 – なぜ「氷の船」が必要だったのか?

この狂気の沙汰とも思える計画が生まれた背景には、第二次世界大戦における、連合国側の絶望的な状況がありました。 大西洋は、イギリスにとって国家の生命線でした。食料、燃料、兵器、兵員。その全てが、アメリカ大陸からの海上輸送に依存していたのです。

ドイツ海軍は、この弱点を突くため、潜水艦Uボートによる通商破壊作戦を展開。「群狼作戦(ウルフパック)」と呼ばれる、複数のUボートが連携して輸送船団を襲撃する戦術は、連合国に甚大な被害をもたらしました。

特に深刻だったのが、「ブラック・ピット」と呼ばれる、大西洋中央部の広大な「空白地帯」の存在です。 ここは、陸上基地から発進する連合国の航空機による援護が、全く届かない海域でした。この海のど真ん中で、輸送船団はUボートの群れにとって、格好の狩場となっていたのです。

鋼鉄製の通常の空母を大量に建造するには、時間も資源も足りない。 この絶望的な状況を打開するため、イギリスの指導者たちは、常識を超えた「奇跡の兵器」を渇望していました。


第2章:ありえない同盟 – 奇人発明家と王族の後援者

この前代未聞の計画が、単なる机上の空論から国家プロジェクトへと昇華した背景には、二人の特異な人物の、奇跡的な出会いがありました。

1.ジェフリー・パイク:常識を憎んだ天才

ジェフリー・パイクは、20世紀イギリスが生んだ、最も独創的で、最もエキセントリックな発明家でした。 第一次世界大戦中、敵国ドイツにスパイとして潜入し、脱出不可能と言われた捕虜収容所から独力で脱走。戦後は、株式市場で財を成す一方、既存の教育システムを完全否定した革新的な学校を設立するなど、その行動は常に常識の枠を超えていました。

彼の風貌は、「めったに風呂に入らず髭も剃らない」「汚れたスーツによれよれの帽子」と評される一方で、その頭脳は紛れもない天才でした。第二次世界大戦が始まると、彼はその才能を軍事発明に注ぎ込みます。

2.ルイス・マウントバッテン卿:王族の異端児

この、社会の常識から逸脱した天才の才能を見出し、国家の力で擁護したのが、ルイス・マウントバッテン卿でした。 ヴィクトリア女王の曾孫であり、王族の一員でありながら、海軍軍人としての道を歩んだ彼は、大胆さと革新性で知られていました。

パイクが書き上げた、232ページにも及ぶ氷山空母の提案書は、通常の軍のルートを全て迂回し、マウントバッテン卿に直接届けられました。 常人ならば一笑に付すような内容でしたが、マウントバッテンは、その構想の奥にある戦略的な可能性を見抜き、即座にチャーチル首相に直訴。大胆な発想を好むチャーチルもまた、この計画に魅了され、二人の強力な後押しによって、プロジェクト・ハバクックは、ついに動き出すことになったのです。


第3章:パイクリート – 銃弾さえも跳ね返す「魔法の氷」

プロジェクト・ハバクックの心臓部。それは、「パイクリート」と名付けられた、驚異の新素材でした。これは単なる氷ではなく、科学と創意工夫が生み出した、魔法のような複合材料です。

パイクリートは、約14%の木材パルプ(おがくずや新聞紙)と、86%の水を混ぜて凍らせたもの。 この、わずかな木材パルプの添加が、氷の物理的特性を劇的に変化させました。

  • 強度はコンクリートに匹敵
  • 通常の氷よりも、遥かに溶けにくい
  • 木材のように切断したり、金属のように鋳造したりすることも可能

この驚くべき素材の名を世界に轟かせたのが、1943年にカナダのケベックで開催された連合国首脳会談での、マウントバッテン卿による伝説的な実演でした。

チャーチル首相やルーズベルト大統領をはじめ、懐疑的な軍の最高首脳たちが居並ぶ前で、マウントバッテンは二つの大きな氷の塊を用意させます。一つはただの氷、もう一つはパイクリートでした。

まず、彼は軍用拳銃で、ただの氷の塊を撃ちました。銃弾は氷を粉々に砕き、破片が飛び散ります。 次に、彼はパイクリートの塊に銃口を向け、引き金を引きました。

銃弾は、甲高い音を立ててパイクリートの表面で跳ね返り、壁に突き刺さったと言われています。 この衝撃的な光景は、懐疑論者たちを沈黙させ、この「狂気の沙汰」とも思える計画に、最高の権威によるお墨付きを与えたのです。


第4章:ロッキー山中の秘密実験 – 湖底に眠る氷の船

首脳会談での劇的な実演を経て、プロジェクトは本格的な実験段階へと移行します。 その舞台に選ばれたのは、カナダのアルバータ州、ジャスパー国立公園にひっそりと佇む、パトリシア湖でした。

1943年の冬、この人里離れた湖畔で、全長18メートル、重量1,000トンにも及ぶ、氷の試作モデルの建造が、極秘裏に開始されました。 この奇妙なプロジェクトに従事したのは、兵役を拒否した良心的兵役拒否者たち。彼らは、自分たちが一体何を造っているのか、その目的を知らされることはありませんでした。

しかし、プロジェクトの成否を占う最大の試練は、1943年の夏に訪れます。 夏の強烈な太陽は、容赦なく氷の船体を蝕み始めました。冷却装置が備えられていたにもかかわらず、巨大な氷の構造物は、自らの重みでゆっくりと歪み、沈み始めたのです。 実験室での小さな成功と、自然環境下での大規模な建造との間には、あまりにも大きな隔たりがありました。

実験は中止され、巨大な氷のプロトタイプは、湖に見捨てられました。 その残骸は、今もパトリシア湖の底に静かに眠っており、カナダの史跡として、この奇妙な戦時プロジェクトの記憶を、後世に伝えています。

結論:歴史のファイルに隠された「輝かしき愚行」の遺産

プロジェクト・ハバクックは、ついにその巨体を大西洋に浮かべることなく、歴史の舞台から姿を消しました。 その敗因は、複合的でした。

  • 高騰するコストと、資源の枯渇: 計画の実現には、膨大な量の木材パルプと鋼鉄が必要でした。皮肉なことに、船体を冷却するための冷凍プラントに必要な鋼鉄の量は、最終的に通常の鋼鉄製空母を1隻造るよりも多くなるという、致命的な矛盾を抱えていたのです。
  • 技術的な限界: 最大速度わずか13km/hという低速は、Uボートの格好の標的となる危険性がありました。
  • 戦略的な陳腐化: そして最も決定的な要因は、ハバクックの存在意義そのものが、失われてしまったことでした。ハバクックが完成する前に、航続距離の長い新型哨戒機や、護衛空母の大量就役によって、大西洋の戦いは連合国の優位に傾き、「ブラック・ピット」はすでに消滅しつつあったのです。

プロジェクトの立案者であったジェフリー・パイクは、戦後、自らのアイデアが世界に受け入れられないことに絶望し、自ら命を絶ちました。

しかし、この計画を、単なる「失敗」の一言で片付けるべきではありません。 プロジェクト・ハバクックは、国家が存亡の危機に瀕した時、人間の想像力と創意工夫が、どこまで飛躍できるかを示す、類まれな歴史の証です。

それは、敗北の瀬戸際に立たされた連合国が、一瞬の夢として、氷の要塞を建造し、戦争に勝利するという壮大なビジョンを、本気で信じようとした、その不屈の精神の記念碑と言えるでしょう。 銃弾を跳ね返す魔法の氷、首脳会ドンでの劇的な実演、そしてロッキー山脈の湖に沈んだ秘密の試作品。 これらの逸話は、ハバクックが単なる軍事計画ではなく、戦争という極限状況が生み出した「輝かしき愚行」であったことを、私たちに物語っています。

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