もし、AIが人間を超える「シンギュラリティ」が、今から250年も昔、18世紀のヨーロッパで、すでに起きていたとしたら…?
物語は、1770年、ウィーンのシェーンブルン宮殿から始まります。 ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアの御前で、一体の驚くべき機械が披露されました。 その名は「ターク」。 トルコ人風の衣装をまとった等身大の自動人形(オートマタ)で、人間とチェスを指すことができたのです。
タークは、単なる人形ではありませんでした。 その知性は、ヨーロッパ中のチェスの名手を次々と打ち負かし、あのナポレオン・ボナパルトを激怒させ、ベンジャミン・フランクリンを唸らせました。 人々は畏怖と熱狂を込めて、こう囁きました。「機械の中に、魂が宿っている」と。
しかし、この物語の最大のミस्टリーは、84年間にわたって、この機械が史上最も巧妙で、最も壮大な「詐欺」であったという事実にあります。
なぜ、啓蒙思想が花開いた理性の時代に、これほど多くの人々が、一体の機械人形に騙されたのでしょうか。そして、その驚くべきトリックの裏には、どんな人間のドラマが隠されていたのでしょうか。 今回は、歴史のファイルに記録された、AIの時代の黎明期に起きた、最も不思議なミステリーの真相に迫ります。
第1章:皇后への挑戦 – 天才が仕掛けた「余興」
この壮大な物語の創造主は、ヴォルフガング・フォン・ケンペレン。ハンガリーの役人であり、人間の発声を機械で再現する「スピーチシンセサイザー」を発明した、当代きっての天才技術者でした。
1769年、女帝マリア・テレジアの宮殿で開かれた奇術ショーに出席した彼は、その内容に退屈し、女帝にこう豪語します。 「陛下、私ならば、これを遥かに上回る驚異を、半年以内にお目にかけましょう」
そして1770年、約束通り、彼が宮殿に持ち込んだのが「ターク」でした。 しかし、タークが巻き起こした熱狂とは裏腹に、ケンペレン自身の態度は、驚くほど冷ややかでした。彼は自らの最高傑作を「単なる見世物(a mere bagatelle)」や「イリュージョン」と呼び、その科学的価値を公然と否定したのです。
この態度は、単なる謙遜ではありませんでした。 それは、タークの謎を深めるための、計算され尽くした演出でした。 自ら「トリックだ」と公言することで、彼は科学界からの厳密な検証を巧みに回避しました。一方で、タークが成し遂げるチェスの妙技は、観客に「これは単なるトリックではありえない」という強烈な印象を与えました。 創造主による否定と、目の前で繰り広げられる奇跡。この矛盾こそが、タークを科学的証明の軛(くびき)から解き放ち、84年にも及ぶ伝説を育む、完璧な土壌となったのです。
第2章:詐欺の解剖図 – 機械の中に隠された「幽霊」
タークのパフォーマンスは、常に厳格な儀式から始まりました。 ケンペレンはまず、観客の前で、タークが座る巨大な木箱の扉を、一つ、また一つと開けてみせます。扉の向こうには、複雑な歯車やレバーがびっしりと詰まっており、まるで精巧な時計の内部を覗き込んでいるかのようでした。 そして、箱の反対側の扉も開け、ろうそくの光を内部に通すことで、誰も隠れていないことを「証明」してみせたのです。
しかし、その精巧な機械仕掛けは、すべてが壮大な隠れ蓑でした。 タークの驚異的な知性の源は、機械ではなく、箱の中に巧みに隠された、人間のチェス名人だったのです。
そのトリックの秘密は、複数の巧妙な工夫によって成り立っていました。
- スライド式の座席: 操縦者は、スライド式の椅子に座っており、ケンペレンが扉を一つ開けるたびに、まるで手品のように、反対側の区画へと素早く体を移動させていました。
- 磁石式のチェス盤: 操縦者は、どうやって盤面の状況を把握していたのでしょうか?秘密は磁石でした。盤上の各駒の底には強力な磁石が埋め込まれており、駒が動かされると、盤の下に糸で吊るされた対応する磁石が引き寄せられます。これにより、操縦者は暗い箱の中でも、盤面の状況を正確に把握することができたのです。
- パンタグラフ式のアーム: タークの腕の動きは、製図などで使われるパンタグラフという仕組みで制御されていました。操縦者が内部でレバーを操作すると、その動きが忠実にタークの腕に伝わり、駒を正確につかみ、移動させることができたのです。
この狭く、息の詰まるような箱の中で、ろうそくの灯りを頼りに、当代一流のチェスの名手たちが、歴史に残る対局を演じていました。 ある時、操縦者が箱の中でうっかりくしゃみをしてしまい、その音を観客に聞かれそうになる、という逸話も残っています。
第3章:タークの大陸征服 – ナポレオンとフランクリンを打ち負かす
こうして、機械の中に人間の魂を隠したタークは、ヨーロッパとアメリカを巡る、壮大なツアーへと旅立ちます。そして、当代きっての偉人たちを、次々と打ち負かしていきました。
皇帝ナポレオンとの伝説の対局(1809年)
タークの数ある対局の中でも、最も有名なのが、1809年にシェーンブルン宮殿で行われた、ナポレオン・ボナパルトとの一戦です。 ヨーロッパの覇者であり、自身も熱心なチェス愛好家であったナポレオンは、この機械仕掛けの挑戦者に強い興味を抱いていました。
対局中、ナポレオンはタークの能力を試すかのように、意図的に反則手を指します。 一度目の反則に対し、タークは駒を元の位置に戻して応じました。 ナポレオンが二度目の反則を試みると、タークはその駒を盤上から取り除きました。 そして、三度目の反則の際には… タークは、腕を振り払い、盤上の全ての駒をなぎ倒してしまったというのです。
この、まるで人間のような「怒り」の表現は、観客に強烈な印象を与え、タークが単なる計算機ではなく、感情を持つ存在であるかのような幻想を、さらに強固なものにしました。
時代を象徴する知性との邂逅
タークは、ナポレオンだけでなく、アメリカ建国の父であり、偉大な科学者でもあったベンジャミン・フランクリンとも、パリで対局しています。 そして、コンピュータの父として知られるチャールズ・バベッジもまた、若き日にタークと対局し、それがトリックであることを見抜きつつも、その精巧なアイデアに深く感銘を受け、後のコンピュータ開発へと繋がるインスピレーションを得たと言われています。
一つの詐欺が、意図せずして、コンピュータ時代の夜明けを告げる、重要な触媒となったのです。
第4章:謎のヴェールが剥がされる時 – ポーの推理と、炎の中の最期
84年もの間、世界を騙し続けたタークですが、その秘密は徐々に暴かれていきます。
その謎の解明に、最も鋭く迫ったのが、アメリカの文豪エドガー・アラン・ポーでした。 1836年に発表されたエッセイの中で、彼は鋭い論理的推察を展開します。「真の機械であれば、常に完璧に勝ち続けるはずだ。しかし、タークは時折、人間相手に敗北することがある。これは、内部にいる人間が、時にミスを犯すからに他ならない」と。 彼の推理は、後の探偵小説の原型とも言えるものでした。
そして1854年、タークの物語は、劇的な終焉を迎えます。 フィラデルフィアの博物館の片隅で、忘れられた存在となっていたタークは、博物館を襲った火災によって、その生涯を終えたのです。 燃え盛る炎の中から、タークの最後の言葉とも言われる「エシェック!エシェック!(チェック!チェック!)」という声が聞こえた、という真偽不明の逸話も残されています。
タークが灰燼に帰したことで、その秘密を公にする障壁はなくなりました。所有者の息子であったサイラス・ミッチェル博士が、チェス専門誌に一連の記事を寄稿し、ついにその全てのトリックを、白日の下に晒したのです。
結論:歴史のファイルに隠された、機械の中の幽霊
タークは、その正体が巧妙な詐欺であったにもかかわらず、後世に多大な影響を残しました。 それは、チャールズ・バベッジにコンピュータの着想を与え、エドガー・アラン・ポーに探偵小説のひらめきを与えました。
そして、タークの最も直接的で、最も奇妙な現代の継承者が、Amazonのクラウドソーシング・プラットフォーム「メカニカル・ターク」です。 このサービスは、AIには困難な、人間的な知性を必要とする細かな作業を、世界中の人々にオンラインで依頼する仕組みです。その名は、ケンペレンの発明への、明確なオマージュです。
ここに、タークの物語が描く、壮大な円環が完成します。
- 18世紀のタークは、機械が思考しているように見せかけ、その実、内部に隠れた人間が作業を行っていた。
- 21世紀の「メカニカル・ターク」は、コンピュータがタスクを完了しているように見せかけ、その実、画面の向こう側にいる無数の人間が作業を行っている。
かつての壮大な詐欺は、現代のビジネスモデルへと昇華しました。 「機械の中の幽霊」という概念が、ナポレオン時代の単なる歴史の逸話ではなく、AI全盛の現代では容易に起こり得ることを私たちはどれぐらい理解できているでしょうか。
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