24匹が100億匹に。オーストラリアを破壊した「ウサギ戦争」の恐るべき真相

歴史の不思議

1859年のクリスマスの日。オーストラリアの裕福な英国人入植者、トーマス・オースティンの元に、故郷イギリスから一箱の贈り物が届きました。中に入っていたのは、わずか24匹のヨーロッパアナウサギ。故郷の狩猟をこの新しい大陸で楽しみたい、という彼のささやかな願いを叶えるためのプレゼントでした。

しかし、このクリスマスの贈り物が、歴史上最も壊滅的な生物学的侵略「ウサギ戦争」の引き金となり、オーストラリア大陸そのものを永遠に変えてしまう大災害を招くと、その場にいた誰も想像していませんでした。

なぜ、たった24匹のウサギが、一時期は100億匹にまで増殖し、大陸を食い尽くすほどの脅威となったのでしょうか。そして、人間とウサギが繰り広げる、160年以上にもわたる「終わりなき戦争」の驚くべき結末とは。今回は、オーストラリアの歴史に刻まれた、壮大な環境破壊の謎に迫ります。


第1章:災厄の創世記 – なぜ「あの24匹」だけが特別だったのか?

この物語の最初の不思議は、なぜオースティンが放った24匹だけが、これほどの大災害を引き起こしたのか、という点にあります。 実は、彼以前にも、オーストラリアにウサギが持ち込まれた例は90回以上もありました。しかし、それらのウサギは野生化することなく、局所的に消えていったのです。

では、なぜオースティンのウサギだけが特別だったのか? 近年の遺伝子研究は、その驚くべき真相を明らかにしました。

運命の「ハイブリッド・ウサギ」

オースティンは、故郷の兄弟に「狩猟用に、野生のウサギを送ってくれ」と頼みました。しかし、兄弟は十分な数の野生ウサギを捕獲できず、近所で飼われていた飼いウサギを買い足して数を合わせたのです。

この偶然の行為が、野生の遺伝子飼育された遺伝子を持つ、最強の「ハイブリッド・ウサギ」を生み出しました。 彼らは、野生の祖先から受け継いだ、捕食者から逃れる鋭い本能や、オーストラリアの過酷な環境で生き抜くための遺伝的多様性を持ち合わせていました。先行者たちが持ち得なかった、この遺伝的な「特効薬」こそが、大陸を征服するための最初の鍵でした。

ウサギのために「準備」されていた大陸

そして、もう一つの要因が、当時のオーストラリアの環境です。 ヨーロッパ人の入植から70年。牧畜の拡大によって、ウサギにとっては理想的なエサ場である広大な牧草地が広がり、同時に、彼らの天敵であるディンゴなどの捕食者は、家畜を守るために駆除され、数を減らしていました。

優れた遺伝子を持つウサギが、天敵のいない、無限の食料がある楽園に放たれた。それはまさに、大災害が起こるべくして起きた「完璧な嵐」だったのです。


第2章:止められない侵略 – 大地を覆う「灰色の毛布」

楽園に解き放たれたウサギたちは、驚異的な繁殖力で文字通り指数関数的に増殖していきます。 オーストラリアの温暖な気候は、彼らに一年中の繁殖を可能にしました。解放からわずか7年後には、オースティンの土地だけで14,000匹が射殺されましたが、その勢いは全く衰えません。

1920年代には、その数は推定100億匹という天文学的な数字に達したとされています。

この侵略の様子を、当時の人々は「灰色の毛布(Grey Blanket)」と呼びました。大地がうごめくウサギの群れで完全に覆われ、まるで灰色の毛布を広げたように見えたからです。 その拡散速度は、哺乳類の侵略史上で最速。侵略の最前線は、年間100km以上のスピードで前進し、わずか50年で、イギリスの25倍もの面積を植民地化したのです。

この侵略は、オーストラリアの生態系を根底から破壊しました。

  • 大地は砂漠になった: ウサギは、在来種の植物の若木や苗を根こそぎ食べ尽くし、大地を丸裸にしました。その結果、大規模な土壌侵食が引き起こされ、多くの土地が永久に不毛の地と化しました。
  • 固有種は絶滅の淵へ: ウサギは、オーストラリア固有の有袋類であるビルビー(フクロウサギ)などと、食料や巣穴を巡って直接競合しました。さらに、ウサギの大量発生は、同じく外来種であるキツネやネコの格好のエサとなり、これらの捕食者が増えることで、ビルビーのような在来動物への脅威がさらに増大したのです。

ウサギは、オーストラリア大陸の風景と生態系を、永遠に作り変えてしまいました。


第3章:人間の抵抗 – ワイヤーとウイルスの戦争

大陸を覆い尽くす「灰色の毛布」に直面し、ついに人間は壮大な反撃を開始します。

ワイヤーの戦争:世界最長の柵「ウサギ防護柵」

西オーストラリア州政府は、ウサギの侵入を防ぐため、前代未聞の巨大プロジェクトに乗り出します。それが、大陸を分断する「ウサギ防護柵」の建設です。 1901年から7年間かけて建設された3本の柵の総延長は、なんと3,256km。これは、日本の本州を縦断するよりも長い距離です。

しかし、この英雄的な努力は、完璧な失敗に終わります。 広大な柵が完成する前に、ウサギはすでに防衛線を突破していたのです。この巨大な柵は、自然の力に対する人間の無力さを象徴する、壮大な記念碑として、今も砂漠の中に残されています。

ウイルス戦争:生物兵器という名の最終手段

物理的な防壁が役に立たないと悟ったオーストラリアは、ついに禁断の扉を開きます。それは、生物兵器の使用でした。

1950年、科学者たちは、ウサギにしか感染しない致死性の高いウイルス「粘液腫ウイルス(ミクソーマウイルス)」を放出します。 その効果は凄まじく、致死率は99.8%。わずか2年間で、オーストラリアのウサギの数は、推定6億匹から1億匹へと激減しました。農業は壊滅の淵から救われ、国中が歓喜に沸きました。

しかし、この成功は、新たな恐怖を生み出します。 「このウイルスは、本当に人間には無害なのか?」 国民的なパニックが広がる中、3人の著名な科学者が、国民の目の前で、自らの体にウイルスを注射するという、命がけの賭けに出ます。この自己犠牲的な行為によって、ウイルスの安全性が証明され、パニックは沈静化しました。


第4章:終わらない戦い – ウサギとの「進化競争」

粘液腫ウイルスの導入は、しかし、戦争の終わりではありませんでした。それは、新たな、そして終わりのない戦いの始まりだったのです。

生き残ったわずかなウサギの子孫たちは、ウイルスに対する遺伝的な耐性を獲得し始めました。それに対し、ウイルスもまた、耐性を持つウサギを倒すため、より強力な形態へと進化を遂げていきます。 人間が解き放った生物兵器は、大陸を舞台にした、宿主と病原体の壮大な「進化の軍拡競争」の引き金を引いてしまったのです。

粘液腫ウイルスの効果が薄れると、1996年には第二の生物兵器「ウサギ出血病ウイルス(RHDV)」が導入されました。そして2015年には、さらに強力な新株(RHDV2)が出現。 この戦いは、もはや人間の管理を超え、予測不可能な形で、今もオーストラリアの大地で静かに続いています。

結論:歴史のファイルに刻まれた、クリスマスの贈り物の代償

オーストラリアのウサギ戦争は、160年以上が経った今も、終わっていません。 ウサギの数は、ピーク時の100億匹からは大幅に減少したものの、現在も推定2億匹が生息し、年間2億豪ドル(約200億円)以上の農業被害を出し続けています。根絶は、もはや不可能です。

この物語が私たちに突きつけるのは、生態学的な謙虚さという、痛みを伴う教訓です。 たった一つの、郷愁から生まれたささやかな人間の行為が、いかにして大陸規模の、取り返しのつかない生態系の破壊を引き起こしうるか。

オーストラリアの風景に刻まれた「灰色の毛布」の記憶と、今も続くウイルスとの進化競争は、その代償の大きさを、私たちに強く思い起こさせます。 クリスマスの日に解き放たれた24匹のウサギの物語は、歴史のファイルの中で、人類への最も強力な警告の一つとして、永遠に記録され続けるでしょう。

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