銃の会社が作った「タイプライター」が女性をオフィスに導いた不思議な物語

歴史の不思議

19世紀半ばのオフィスは、静寂に包まれた「男性の聖域」でした。聞こえるのは、インクを吸わせたペンが分厚い台帳の上を滑るかすかな音だけ。そこでは、「書記」と呼ばれる男性たちが、芸術的な筆記術を武器に、ビジネスの世界を支配していました。

しかし、その静寂は、やがて来る革命的な喧騒の前触れに過ぎませんでした。 世紀の終わりには、この空間は「カタカタカタ…」という機械的な打鍵音が絶え間なく響き渡る、活気に満ちた場所へと変貌します。そして、その音を鳴らしていたのは、男性ではなく、新しい時代の働き手である「女性」たちでした。

この大革命を引き起こしたのは、たった一台の機械、「タイプライター」です。 今回は、元々は銃やミシンを製造していた会社が世に送り出したこの「おしゃべりな機械」が、いかにして女性にオフィスの扉を開き、社会を根底から変えてしまったのか、その不思議な物語を紐解いていきましょう。


第1章:ペンが支配した男性の「聖域」

タイプライターが登場する前、19世紀のオフィスは、現代とは全く異なる世界でした。 「書記(クラーク)」という仕事は、ほぼ100%男性のものであり、将来ビジネス界で成功を夢見る若者にとっての、尊敬すべき見習い期間と見なされていました。

彼らに求められた最も重要なスキルは、「ペンマンシップ(筆記術)」。美しく、正確で、かつ速く文字を書く技術は、高度に専門化された職人技であり、長年の訓練が必要でした。ビジネススクールでは、「スペンサー体」に代表される流麗な書体が教えられ、求人に応募する際は、手書きのサンプルを提出することが必須でした。

この時代のオフィスは、男性だけの「職人ギルド」のようなもの。熟練の技を持つ者だけが入ることを許された、閉ざされた世界だったのです。


第2章:革命の誕生と「わざと非効率にされた」キーボードの謎

この男性の聖域を打ち破る革命の種は、一人の発明家、クリストファー・ショールズによって蒔かれました。彼が1867年に特許を取得した機械こそが、世界初の実用的なタイプライターです。

しかし、この発明には、現代にまで続く大きな「謎」が隠されています。 それが、私たちが今も使っているキーボードの「QWERTY配列」です。

なぜ、キーボードはABC順ではなく、こんなに奇妙な配列になっているのでしょうか? 実はこれ、タイピストを「わざと遅く」打たせるために、意図的に設計されたものだったのです。

ショールズが作った初期のタイプライターは、アルファベット順にキーが並んでいました。しかし、速く打とうとすると、隣り合ったキーの活字棒が絡み合い、頻繁に機械が詰まってしまいました。 そこで、彼のビジネスパートナーは、英語でよく使われる「ST」のような文字の組み合わせを、あえてキーボード上で引き離すことを提案します。これにより、タイピストの打鍵速度を物理的に落とし、機械が詰まるのを防ごうとしたのです。

つまり、QWERTY配列は、技術的な欠陥から生まれた「非効率な設計」でした。この歴史の皮肉が、150年以上も続く世界の標準となったのです。

銃の会社、レミントンの賭け

ショールズは自身の発明の商業化に苦戦し、1873年、製造権をE・レミントン・アンド・サンズ社に売却します。当時、ライフル銃やミシンの製造で有名だったこの会社が、未知の機械に大きな賭けに出たのです。

レミントン社は設計を改良し、1878年にシフトキーを搭載して大文字と小文字が打てる「レミントンNo. 2」を発売。これが大成功を収め、タイプライターはビジネス界に革命をもたらすことになります。


第3章:「タイプライター・ガール」の時代へ

タイプライターの普及は、オフィスに新しい種類の労働力を求める、巨大な需要を生み出しました。そして、その需要を満たしたのが、それまでビジネス界から締め出されていた「女性」たちでした。

1.待機していた労働力

19世紀の社会では、中流階級の女性が働くことは「はしたない」とされていました。しかし、教育を受け、家庭の外での活躍を望む女性たちは、静かにその機会を待っていました。 タイプライターは、工場の肉体労働とは違う、「知的で、 respectableな(ちゃんとした)」仕事として、彼女たちにビジネス界への扉を開いたのです。

2.企業の経済的計算

企業が女性を積極的に雇用した最大の理由は、経済的なものでした。単純に、男性よりもずっと安く雇えたからです。 当時の記録によれば、女性タイピストの給料は、同等のスキルを持つ男性書記の半分程度でした。ある政府高官は、「女性書記は、倍の給料をもらっている多くの男性書記よりも、多くの、そしてより良い仕事をした」と証言しています。

3.新しいスキルの誕生

そして何より決定的だったのが、「タイピング」が全く新しいスキルであったことです。 それは、男性たちが長年独占してきた「筆記術」という職人技とは無関係でした。YWCA(キリスト教女子青年会)などが運営するタイピング学校が次々と開校し、標準化されたQWERTY配列を習得した、新しい世代の女性労働力が大量に育成されました。 1900年頃には、タイピストという職業は、ほぼ完全に女性のものとなっていたのです。


第4章:キーボードが作った伝説

タイプライター革命は、多くの興味深いエピソードや、文化的なスターを生み出しました。

  • マーク・トウェイン:最初のタイプライター作家 『トム・ソーヤーの冒険』の作者である文豪マーク・トウェインは、新しいもの好きで、いち早くタイプライターを購入しました。彼は、世界で初めてタイプライターで打った原稿を出版社に提出した作家であると自負していました。(実際には、1883年の『ミシシッピ川の生活』が最初だったと考えられています)
  • シンシナティの決戦:タッチタイピングの誕生 1888年、タイピングの歴史を決定づけるコンテストが開催されました。 一方の挑戦者は、キーを一つ一つ目で探しながら打つ「ハント・アンド・ペック」法。もう一人が、フランク・エドワード・マクガリン。彼は、キーボードを見ずに打つ、画期的な「タッチタイピング」を独学で編み出していました。 結果はマクガリンの圧勝。この出来事が全米に報じられ、タッチタイピングは専門職の標準として確立されました。
  • ローズ・フリッツ:世界初のタイピング・セレブリティ 20世紀初頭には、タイピングの速さと正確さを競うチャンピオンは、国際的なセレブリティとなりました。中でもローズ・フリッツという17歳の少女は、その驚異的なスキルで世界中を巡業し、大観衆を魅了。彼女の存在は、タイピストという職業に華やかなイメージを与え、多くの若い女性たちの憧れの的となったのです。

結論:意図せざる革命が残したもの

タイプライターは、女性を解放するために発明されたわけではありません。それは、ビジネスの効率化を求める資本主義の論理から生まれた単なる機械でした。

しかし、この一台の機械が意図せずして、20世紀の社会を根底から揺るがす、壮大な革命の引き金を引いたのです。 女性たちは、タイプライターを通じて経済的自立への第一歩を踏み出し、社会進出への扉をこじ開けました。タイピング事務所が女性参政権運動の拠点となることもありました。

もちろん、その道は光ばかりではありませんでした。事務職は、昇進の機会が乏しい「女性の仕事(ピンクカラー・ゲットー)」として固定化され、男女間の賃金格差を定着させる一因ともなりました。

それでも、タイプライターが歴史の歯車を大きく動かしたことは、紛れもない事実です。 そのカタカタという打鍵音は、単なる事務作業の音ではありませんでした。それは、新しい時代の扉を開き社会の変革を告げる力強い響きだったのです。そして、その時代が築いた社会と労働の構造の中を私たちは今もなお生きているのです。

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