英国を騙した「偽の手紙」の謎。100年前に選挙を揺るがした史上初のフェイクニュース事件

事件の不思議

1924年10月25日、イギリス。総選挙をわずか4日後に控えたその朝、一枚の新聞が国を震撼させました。大衆紙デイリー・メールの一面を飾った、衝撃的な見出し。

「社会主義者の主人たちによる内戦計画」

記事が暴露したのは、モスクワの共産主義インターナショナル(コミンテルン)議長ジノヴィエフから、英国共産党へ送られたとされる一通の秘密指令書でした。その内容は、英国軍内部での扇動活動や、武装蜂起の準備を促す、まさに国家転覆を企むものでした。

この「ジノヴィエフ書簡」と名付けられた政治爆弾は、英国史上初の社会主義政権を崩壊させ、その後の歴史を大きく変えることになります。 しかし、もしこの手紙が、巧妙に仕組まれた真っ赤な偽物だったとしたら…?

これは、亡命者、スパイ、メディア、そして国家機関までもが絡み合った、20世紀最大の政治的欺瞞の一つです。一体誰が、何のためにこの偽の手紙を作り、いかにして一国を騙しおおせたのか。今回は、100年前のイギリスで実行された、「史上初のフェイクニュース事件」の驚くべき真相に迫ります。


狙われた英国初の社会主義政権

この陰謀が仕掛けられた土壌を理解するには、当時のイギリスが置かれていた特殊な状況を知る必要があります。 1924年、英国ではラムゼイ・マクドナルド率いる労働党が、史上初の社会主義政権を樹立しました。保守的なエリート層にとって、これは悪夢の始まりでした。

彼らの不安をさらに煽ったのが、労働党政権が進めていた英ソ通商条約です。ソビエト連邦を国家として承認し、貿易関係を正常化しようとするこの動きは、保守層から「革命を掲げる敵国に、英国民の税金を渡す裏切り行為だ」と激しく非難されていました。

第一次世界大戦後のイギリス社会には、「赤の恐怖(Red Scare)」と呼ばれる反共産主義ヒステリーが蔓延していました。保守系メディアは連日、労働運動全体を「ソ連の手先」であるかのように描き出し、国民の恐怖心を煽り立てていました。 社会は、ジノヴィエフ書簡のような陰謀論を信じ込む準備が、すっかり整っていたのです。


陰謀の設計者たち:謎の黒幕は誰だ?

では、この巧妙な偽の手紙は、一体誰が作り上げたのでしょうか。その背後には、複数の組織と、一人の伝説的なスパイの影が見え隠れします。

1.帝政ロシアの亡霊たち

偽造の実行犯として最も有力視されているのが、「白系ロシア人」と呼ばれる、反共産主義の亡命者ネットワークです。 ロシア革命で国を追われた彼らは、西側諸国が自分たちの敵であるソ連と国交を結ぶことを、何よりも憎んでいました。彼らは、この動きを阻止するためなら、どんな汚い手も厭わない、狂信的な復讐心に燃えていたのです。

2.伝説のスパイ、シドニー・ライリー

そして、この陰謀の背後で糸を引いていたとされるのが、シドニー・ライリーという、ジェームズ・ボンドのモデルにもなったと言われる伝説のスパイです。

ロシアのユダヤ人家庭に生まれた彼は、自らの死を偽装してロンドンに渡り、英国紳士として生まれ変わった稀代の詐欺師であり、冷酷な諜報員でした。狂信的な反共主義者だった彼は、ボルシェビキ政権を転覆させるためなら、レーニンの暗殺さえも企てたと言われています。 白系ロシア人組織と深い繋がりを持っていた彼が、この大胆不敵な偽造計画を画策した可能性は非常に高いと考えられています。

3.国家による「裏切り」

この事件で最も恐ろしいのは、英国の諜報機関MI5MI6が、この陰謀に加担していた疑いが極めて強いことです。 偽の手紙は、MI6のリガ(ラトビア)拠点からロンドンへと送られました。その信憑性については内部でも疑問の声が上がっていたにもかかわらず、諜報機関の上層部は、これを「本物」として政府内で共有。さらに、保守党と繋がりのあるMI5の幹部が、この情報を意図的にメディアにリークしたとされています。

国家を守るべきスパイ組織が、自らの政治的信条に基づき、民主的に選ばれた政府を転覆させるために動いた。これは、国家による「裏切り」に他なりませんでした。


実行された「情報戦」:新聞による裁判

選挙のわずか4日前。この完璧なタイミングで、偽の手紙は諜報機関からデイリー・メール紙へと渡されました。 デイリー・メールの報道は、単なるスクープではなく、国家的な危機を演出するためのプロパガンダでした。「泥棒と殺人者の集団」といった扇情的な言葉でソ連を非難し、労働党政権が国を売ろうとしているかのような印象操作を行ったのです。

この時、マクドナルド首相は選挙活動のためロンドンを離れており、全くの不意を突かれました。さらに悪いことに、彼の留守中に、外務省が彼の意に反して、この手紙を本物と認める公式抗議文をソ連に送付してしまったのです。

マクドナルド首相は、自らの政府機関によって仕掛けられた罠にはまり、身動きが取れなくなりました。彼は後に、この時の心境をこう語っています。 「袋詰めにされて、海に投げ込まれた男の気分だった


選挙の意外な結末と「陰謀神話」の誕生

では、この偽の手紙は、本当に労働党を敗北させたのでしょうか? 選挙結果を詳しく見ると、驚くべき事実が浮かび上がります。

政党獲得議席 (1923年)獲得議席 (1924年)議席増減
保守党258412+154
労働党191151-40
自由党15840-118

驚くべきことに、労働党の得票数自体は、前回の選挙から100万票以上も増えていたのです。 この選挙の真の敗者は、中道派の自由党でした。「赤の恐怖」に煽られた自由党の支持者たちが、「共産主義の脅威から国を守れるのは保守党だけだ」と考え、一斉に保守党に票を投じた結果、自由党は壊滅的な敗北を喫したのです。

つまり、ジノヴィエフ書簡は、労働党を直接打ち負かしたというよりも、中道派をパニックに陥らせて政治のバランスを崩壊させ、保守党に地滑り的な勝利をもたらしたのです。

しかし、この事実は、労働党内に「諜報機関とメディアに、背後から刺された」という根深い陰謀神話を生み出しました。この不信感は、その後何十年にもわたって、英国政治に暗い影を落とし続けることになります。

結論:100年後も生き続ける「嘘」の教訓

ジノヴィエフ書簡事件は、巧妙に作られた偽情報が、特定の意図を持ったメディアによって増幅され、国家機関の一部によって権威付けられ、そして恐怖に満ちた社会で、いかに絶大な効果を発揮するかを示した、情報戦の完璧なケーススタディです。

その手口は、一世紀後の現代においても驚くほど古びていません。 外国勢力による偽情報の作成、諜報機関からのリーク、そしてSNSやメディアによる一斉の拡散。私たちが今、日々目にしている「フェイクニュース」や「選挙介入」の原型は、すべて100年前のこの事件に見出すことができます。

ジノヴィエフ書簡の物語は、単なる歴史の面白い逸話ではありません。それは、政治の舞台における真実がいかに脆く、民主主義がいかに簡単に脅かされるかについて、時代を超えて警鐘を鳴らし続ける、歴史のファイルに残された、最も重要な教訓の一つなのです。

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