紳士のスポーツを「戦争」に変えた戦術。クリケット史上最も悪名高い「ボディライン事件」

事件の不思議

もし、一人の天才が、そのあまりの完璧さゆえに、スポーツのルールそのものを破壊の瀬戸際に追い込んだとしたら…? そして、その天才を止めるため、敵チームが編み出したのが、相手を負傷させることを厭わない、禁断の殺人戦術だったとしたら…?

これは、1932年から33年にかけてオーストラリアを舞台に繰り広げられた、クリケット史上、最も悪名高く、最も物議を醸したシリーズ「ボディライン」の物語です。

主役は三人。 一人は、オーストラリアの若き天才打者、ドン・ブラッドマン。彼のバットは、イングランドの投手たちを絶望の淵に叩き落としました。 もう一人は、イングランドの主将、ダグラス・ジャーディン。貴族階級出身の彼は、勝利のためなら手段を選ばない、冷徹な策略家でした。 そして最後の一人が、イングランドの快速球投手、ハロルド・ラーウッド。炭鉱夫の息子である彼は、主将の命令を忠実に実行する、恐るべき「人間兵器」でした。

なぜ、紳士のスポーツは、憎悪と暴力が渦巻く国家間の戦争へと発展してしまったのか。 今回は、歴史のファイルに記録された、スポーツ界最大のミステリーの、驚くべき真相に迫ります。


第1章:「アンプレイアブル」な男 – 天才ブラッドマンの出現

この壮絶な物語の引き金を引いたのは、オーストラリアの若き天才、ドン・ブラッドマンの、人間離れした打撃でした。 1930年、イングランドで行われた伝統の対抗戦「アッシュズ」で、彼はまさに神の領域に足を踏み入れます。

試合数総得点打率最高得点200ラン以上
5974139.143343回

このシリーズで彼が叩き出した974ランという記録は、90年以上が経った今も、破られていません。 そのパフォーマンスは、もはやスポーツではなく「殺戮」とまで表現されました。ある試合では、たった一日で309ランを記録。イングランドのクリケットの誇りは、自国の地で、一人の天才によってズタズタに引き裂かれたのです。

イングランド中が、深い絶望感に包まれました。「ブラッドマンは、もはや人間のルールでは止められない」。 この集団的な無力感こそが、常識を逸脱した、過激で残忍な対抗策を「必要悪」として受け入れさせる、危険な土壌を形成していったのです。


第2章:ありえない同盟 – 貴族と炭鉱夫、禁断の戦術の誕生

ブラッドマンという「アンプレイアブル(攻略不可能)」な存在を打ち破るため、イングランドは、当時の階級社会が生んだ「ありえない同盟」を結成します。

戦術の設計者:ダグラス・ジャーディン

主将のダグラス・ジャーディンは、名門オックスフォード大学出身の典型的な貴族階級のアマチュア選手でした。彼の性格は傲慢で、尊大でした。特に、彼が試合中に愛用した派手なハーレクイン・キャップはオーストラリアの観衆から激しい憎悪の対象となりました。 彼はオーストラリア人を「無教養な連中」と見下しており、その敵意を隠そうともしませんでした。シリーズ開幕前彼はこう言い放っています。

「私は6,000マイルも旅をして、友人を作りに来たのではない。アッシュズに勝つために来たのだ」

一方、この冷徹な設計者の「武器」となったのが、ハロルド・ラーウッド。ノッティンガムシャーの炭鉱夫の家庭に生まれた、労働者階級のプロ選手でした。 彼は、クリケット史上最速とも言われる、時速150kmに迫る剛速球を投げる投手。プロ選手として、アマチュアである主将の命令は絶対でした。彼は、自らを主将の計画を実行する「死刑執行人」と見なしていたのです。

ピカデリー・ホテルの密談

禁断の戦術「ボディライン」の構想は、ロンドンのピカデリー・ホテルでの密談で固まりました。 ジャーディンは、ラーウッドともう一人の投手を呼び出し、こう尋ねます。 「ブラッドマンの体を狙って、短く、高く跳ねるボールを、寸分の狂いもなく投げ続けることはできるか?

二人が「イエス」と答えた瞬間、クリケットの歴史は、最も暗い一章へと突入することになるのです。


第3章:ボディライン – 身体を狙う「殺人ボール」

「ボディライン」は、単なる速球ではありませんでした。それは、打者の得点機会を奪い、恐怖心を植え付け、そして負傷させることを目的とした、緻密に設計されたシステムでした。

  • 投球: 投手は、打者の身体、特に胸や頭部を目がけて、極めて速いショートボールを投げ続けます。ボールは高く跳ね上がり、打者を直接脅かします。
  • 野手配置: そして、この戦術の最も狡猾な点が、野手の配置です。打者の脚側(レッグサイド)に、6人もの野手を密集させ、打者が恐怖から思わずバットに当ててしまった、弱い打球を待ち構えるのです。

ヘルメットも、十分な防具もなかった時代。この戦術に直面した打者に残された選択肢は、三つしかありませんでした。

  1. ボールを避ける(しかし、ラーウッドの剛速球からは、ほとんど不可能)
  2. 体にボールを受ける(つまり、大怪我を覚悟する)
  3. ボールを打つ(しかし、打てば密集した野手の餌食になる)

技術的には、当時のルールでは合法でした。しかし、それはクリケットを技術の競争から、肉体的な脅迫へと変質させる、紳士のスポーツの「精神」に反する卑劣な行為だと、オーストラリア側は激しく非難したのです。


第4章:アデレードの惨劇 – クリケット史上、最も不名誉な日

シリーズの緊張が頂点に達したのが、アデレードで行われた第3テストマッチでした。この試合は、クリケットの歴史における汚点として、今なお語り継がれています。

ウッドフル事件

オーストラリアの主将、ビル・ウッドフルが打席に立った時、ラーウッドが投じた剛速球は、彼の心臓付近を直撃しました。ウッドフルは苦悶によろめき、観客席からは3分間にも及ぶブーイングが鳴り響きます。 しかし、イングランド主将ジャーディンは、チームメイトに向かってこう叫んだと言われています。「ナイスボール、ハロルド!

さらに彼はこの直後、野手たちを完全なボディラインの布陣へと移動させるというこれ以上ない挑発行為に出たのです。

楽屋での対立と、歴史的なリーク

その日の午後、イングランドのチームマネージャーが、ウッドフルの容態を気遣うためにオーストラリアの楽屋を訪れます。 そこで、普段は温厚で知られるウッドフルは、クリケット史に残る、痛烈な言葉を彼に浴びせました。

「ワーナーさん、あなたには会いたくない。グラウンドには2つのチームがいる。片方はクリケットをプレーしているが、もう片方はそうではない」

このプライベートな発言は、何者かによってマスコミにリークされ、シリーズ全体の倫理的な問題を象徴する、歴史的な言葉となりました。

オールドフィールドの負傷

そして、悲劇は起こります。 オーストラリアの選手、バート・オールドフィールドが打席に立った時、ラーウッドの投球がバットをかすめ、彼のこめかみを直撃。衝撃音はラジオ放送でもはっきりと聞こえたといいます。 オールドフィールドは頭蓋骨を骨折し、血を流してグラウンドに崩れ落ちました。観衆の怒りは頂点に達し、暴動寸前の事態となり、警察がグラウンドに殺到しました。


第5章:国家間の戦争へ

アデレードでの惨劇をきっかけに、対立はついにクリケット場を越え、国家間の外交問題へと発展します。 オーストラリアのクリケット評議会は、イングランド側に対し、「非スポーツマン的行為であり、両国の友好関係を損なう」と、極めて厳しい抗議の電報を送りました。 これに対し、イングランド側は、「非スポーツマン的行為などない。もしこれ以上続ける気がないなら、ツアーをキャンセルしても構わない」と、事実上の最後通牒で応じます。

事態は、大恐慌のさなか、オーストラリアの首相が介入するまでにエスカレート。イギリスがオーストラリア製品のボイコTットに踏み切れば、国家経済が破綻しかねないと警告し、オーストラリア側が態度を軟化させることで、ツアーはかろうじて続行されました。 たかがスポーツの戦術が、二つの国家の関係を、断絶寸前まで追い込んだのです。

結論:歴史のファイルに残された、ゲームの傷跡

ボディライン・シリーズは、イングランドがアッシュズを奪還するという結果で幕を閉じました。 しかし、その代償は、あまりにも大きなものでした。

  • ルールの変更: 論争の結果、1935年にクリケットのルールが変更され、ボディラインの野手配置は違法となり、この戦術は封じ込められました。
  • 英雄と悪役のその後:
    • ダグラス・ジャーディン(設計者): 勝利の英雄となるはずだった彼は、クリケット界の追放者となり、33歳の若さで引退。悪名高き主将として、歴史に名を残しました。
    • ドン・ブラッドマン(天才): このシリーズでは打率を落としたものの、その後も見事な活躍を続け、史上最高の打者としての地位を不動のものとしました。
    • ハロルド・ラーウッド(実行者): 最も悲劇的な運命を辿ったのが、ラーウッドでした。彼は、イングランドのクリケット界によってスケープゴートにされ、謝罪を拒否したことで、代表チームから追放されてしまいます。失意の中、彼は引退。しかし、物語には驚くべき後日談があります。1950年、彼はオーストラリアに移住します。かつて彼を憎悪したはずのオーストラリア国民は、彼を「イングランドの上流階級に不当な扱いを受けた、筋を通した男」として、温かく迎え入れたのです。

ボディライン事件は、クリケットというスポーツの魂をめぐる壮絶な闘争でした。 それは一人の天才の出現が、いかにして既存の秩序を揺るがし、人々をパニックに陥らせ、そしてスポーツの倫理観そのものを変えてしまうかを示す、強烈な物語です。

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