干し肉が戦争を起こし、民族を生んだ?カナダ史に眠る奇妙な「ペミカン戦争」の謎

事件の不思議

もし、歴史を動かしたのが、英雄の演説でも、画期的な発明でもなく、一握りの「干し肉」だったとしたら、信じられるでしょうか?

19世紀初頭の北アメリカ大陸。ここで繰り広げられたのは、ヨーロッパ市場を潤す毛皮を巡る、二つの巨大企業による覇権争いでした。しかし、この企業間戦争の引き金となり、勝敗を決する鍵となったのは、金でも銃でもなく、「ペミカン」と呼ばれる、先住民が生み出した究極の保存食だったのです。

この質素な食べ物を巡る争いは、やがて流血の事態を招き、巨大企業を合併へと追い込み、そして図らずも「メティ」という新しい民族を歴史の舞台に誕生させることになります。

なぜ、ただの食料が、これほどまでに大きな歴史の歯車を動かしたのか。今回は、カナダ建国の裏に隠された、最も奇妙で、最も血なまぐさい企業間戦争「ペミカン戦争」の不思議な物語を紐解いていきましょう。


第1章:帝国の燃料「ペミカン」 – 究極のサバイバルフード

この壮大な物語の中心にある「ペミカン」とは、一体何なのでしょうか。 それは、北米大陸の先住民、特にクリー族の知恵が生んだ、究極のサバイバルフードです。

作り方は、保存性と栄養価を最大限に高めるための工夫に満ちています。 まず、バイソンなどの赤身肉を、カリカリになるまで乾燥させ、粉末状になるまで叩きます。そして、溶かした獣脂をほぼ1対1の割合で混ぜ合わせ、皮袋に詰めて固めるのです。この獣脂が肉を空気から完全に遮断し、何十年もの長期保存を可能にしました。

高カロリー、高タンパク質でありながら軽量。この驚異的な性能は、後の時代の極地探検家たちにも愛用されるほどでした。

二大企業の激突

当時の北米大陸では、二つの巨大企業が毛皮貿易の覇権を巡って激しく争っていました。

  • ハドソン湾会社 (HBC): 1670年に英国王室の勅許を得て設立された、ロンドンを拠点とする独占企業。保守的で、沿岸部の交易所で先住民が毛皮を持ってくるのを待つスタイル。
  • ノースウェスト会社 (NWC): モントリオールを拠点とする、スコットランド商人たちによる野心的な新興勢力。カヌーを駆使して大陸の奥深くまで進出し、直接交易を行う攻撃的なスタイル。

この戦いで、ペミカンはNWCにとっての生命線となりました。 数千キロにも及ぶ長大な交易路を維持するためには、ヨーロッパからの食料輸送は非現実的。NWCの屈強な船乗り「ヴォワヤジュール」たちの胃袋を満たし、この巨大な交易網という機械を動かす「燃料」こそが、現地で調`達可能なペミカンだったのです。 NWCの幹部は後に「ペミカンなくして、会社の運営は不可能だった」と証言しています。


第2章:バッファロー・ハンター「メティ」 – 新しい国家の誕生

この帝国の燃料「ペミカン」を、一手に生産・供給していたのが、メティと呼ばれる人々でした。

彼らは、ヨーロッパ人の毛皮交易商(主にフランス系カナダ人)と、先住民の女性(主にクリー族)との間に生まれた子孫であり、二つの文化を融合させた独自のアイデンティティを持つ、新しい民族です。 卓越した騎馬技術と狩猟技術を持つ彼らは、毎年、数百人から時には千人以上が参加する、高度に組織化された大規模なバッファロー狩りを行い、NWCにペミカンを供給することで、経済的な力を蓄えていきました。

皮肉なことに、NWCが自社の生命線をメティに依存したことが、彼らの経済的自立と政治的な組織化を促す結果となります。NWCの経済的な必要性が、メティの政治的な機会を創り出したのです。 この力は、やがて彼らが自らを「ラ・ヌーヴェル・ナシオン(新しい国家)」として意識する土台となり、ペミカン戦争という危機に直面した時、彼らの運命を大きく動かすことになります。


第3章:草原に引かれた一本の線 – 戦争の火種

この絶妙なバランスを崩壊させたのが、一人のスコットランド貴族、セルカーク卿でした。 彼は、慈善家と冷徹な事業家という二つの顔を持つ人物。故郷スコットランドで土地を追われた農民を救済するという人道的な動機と、HBCの大株主としてライバルNWCの生命線を断つという戦略的な野心から、とんでもない計画を思いつきます。

それは、北米大陸のど真ん中、まさにNWCのペミカン供給ルートの心臓部に、巨大な農耕植民地を建設するというものでした。

1812年、最初の入植者たちがレッドリバー地域に到着。しかし、彼らはNWCとメティから、自分たちの土地と生活を脅かす「侵略者」として、激しい敵意をもって迎えられます。

そして1814年、植民地の総督は、食糧不足を理由に、この地域からのペミカンの輸出を全面的に禁止するという、致命的な布告を発令します。 これは、NWCに対する完全な経済封鎖であり、メティにとっては自らの生業そのものを犯罪と見なす行為でした。 この「ペミカン布告」こそが、血で血を洗う「ペミカン戦争」の号砲となったのです。


第44章:セブン・オークスの戦い – 干し肉が鍛え上げた民族の魂

ペミカン布告をきっかけに、NWCとメティは強固な軍事同盟を結び、共通の敵であるHBCと入植者への攻撃を開始します。 そして1816年6月19日、戦争はついに全面的な武力衝突へと発展。後に「セブン・オークスの戦い」として知られる、ペミカン戦争最大の激戦です。

メティの英雄カスバート・グラントに率いられた約60名のメティ部隊と、HBCの新総督ロバート・センプルが率いる約28名の部隊が、草原で対峙しました。 馬を巧みに操り、正確な射撃技術を持つメティ部隊は、徒歩で統率を欠いたHBC部隊を圧倒。戦闘はわずか15分で終結し、センプル総督を含むHBC側21名が死亡したのに対し、メティ側の死者はたった一人でした。

この戦いは、その後の歴史で全く異なる物語として語られます。 HBC側にとっては、これは野蛮なメティによる「セブン・オークスの虐殺」。 しかし、メティにとっては、侵略者から自分たちの土地と権利を守った「ラ・グルヌイエールの勝利」でした。 この戦場で、メティの旗が初めて掲げられ、彼らは自らを「新しい国家」として、世界にその存在を知らしめたのです。

結論:歴史のファイルに隠された、企業間戦争の意外な結末

セブン・オークスの戦いの後も、両社の争いは法廷闘争へと舞台を移し、互いの財政を消耗させていきました。 見かねた英国政府は、ついに介入を決断。1821年、両社に強制的な合併を命じ、NWCはHBCに吸収される形で、この熾烈な企業間戦争は幕を閉じたのです。

ペミカン戦争は、カナダ西部の毛皮交易の黄金時代に終止符を打ちました。 しかし、この戦争が残した最も永続的な遺産は、メティという一つの民族の誕生を促したことです。

共通の敵との戦い、輝かしい勝利の記憶、そして英雄の存在は、メティの人々に強固な民族的アイデンティティを植え付けました。この経験は、後のレッドリバーの抵抗運動、そしてカナダの新しい州「マニトバ州」の設立へと、直接繋がっていくのです。

かくして、バイソンの肉と脂肪から作られる、この質素な保存食は、二つの巨大企業の運命を左右し、植民地政府を動かし、そして一つの民族の魂を鍛え上げるという、歴史における予想外の役割を果たしました。 一杯のコーヒーが世界史を動かしたように、一握りのペミカンもまた、国家の歴史を形作る、不思議で力強い原動力となり得たのです。

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