もし、政府がある特定の食品を「食欲を失くす、けばけばしいピンク色」に染めることを、法律で強制した時代があったとしたら信じられるでしょうか?
これは、SF小説のディストピア国家の話ではありません。19世紀末のアメリカで、マーガリンという私たちにとってはおなじみの食品に対して、実際に制定されようとした法律です。
なぜ、ただのバターの代用品が、これほどまでに激しい憎悪の対象となり、国家規模のいじめとも言える攻撃を受けなければならなかったのか。 その裏には巨大な利権を巡るロビー活動、人々の不安を煽るプロパガンダ、そして「自然」と「人工」を巡る、100年以上にわたる壮大な文化戦争が隠されていました。
物語は、皇帝ナポレオン3世の高貴な指令から始まり、主婦たちのささやかな密輸、政治家を巻き込んだ味比べ対決、そして現代の栄養科学における大どんでん返しへと、驚くべき変遷を遂げていきます。 今回は、歴史のファイルに記録された、バターとマーガリンの、奇妙で、滑稽で、そして少しだけ恐ろしい戦争の驚くべき真相に迫ります。
第1章:皇帝の褒賞と「真珠」の誕生
この壮大な物語は、意外にも高貴な目的から始まりました。 1869年、普仏戦争の暗雲が垂れ込めるフランス。皇帝ナポレオン3世は、兵士と労働者階級のために、安価で保存性の高いバターの代用品を開発した者に、褒賞を与えると布告しました。
この国家的な課題に応えたのが、フランスの化学者イポリート・メージュ=ムーリエでした。 彼は牛脂を主原料に、牛乳や羊の胃から抽出した酵素などを加えるという、独創的な方法で、バター状の物質を作り出すことに成功します。
彼はその製造過程で真珠のような輝きを持つ脂肪の粒が形成されることから、ギリシャ語で「真珠」を意味する「マルガリテス」にちなんで、この発明品を「オレオマルガリン」と名付けました。 しかし、彼の運命は皮肉なものでした。皇帝からの褒賞という栄誉は手にしたものの、商業的には成功せず、特許をオランダの会社に売却。貧困のうちに、誰にも知られずにこの世を去ったのです。
彼が発明した「真珠」は彼の死後、新大陸アメリカへと渡り、そこで巨大な論争の嵐を巻き起こすことになります。
第2章:金ぴか時代の「偽バター」– 酪農帝国からの攻撃
1870年代、マーガリンがアメリカに上陸した時代は、「金ぴか時代」と呼ばれる、急激な産業化の真っ只中にありました。人々は、農場から工場へと生産の場が移り変わることに、漠然とした不安を抱いていました。
この時代、バターは、古き良きアメリカの農村が育んだ、「自然で、純粋で、健全なもの」の象徴でした。 一方、工場でしかも屠殺場の副産物である牛脂から作られるマーガリンは、得体の知れない「人工的で、不自然で、怪しいもの」の象徴と見なされたのです。
この文化的対立に巨大な経済的利権が絡み合います。 安価なマーガリンの登場に、自らの帝国が脅かされると感じた酪農業界は、強力なロビー団体を結成し、マーガリンに対する全面戦争を開始します。
彼らの最初のそして最も効果的な戦略は、マーガリンを「偽バター(Bogus Butter)」と呼び、消費者を騙すための「詐欺商品」であるというレッテルを貼ることでした。 このキャンペーンは、悪意に満ちたプロパガンダによって支えられました。
政治風刺画は、マーガリン工場を石鹸や野良猫、ゴム長靴、病気の動物の死骸などが製品に混ぜ込まれるグロテスクな地獄絵図として描きました。さらに、「マーガリンを食べると狂気になる」「癌になる」といった、科学的根拠のない噂が、意図的に流布されたのです。
この戦いは、もはや単なる市場シェア争いではありませんでした。それは、産業化された未来に対する古き良き農耕社会へのノスタルジアを背景とした、アメリカの魂を巡る文化戦争だったのです。
第3章:色彩戦争 – ピンク色の法律と、自家製着色の謎
酪農ロビーの最も執拗で、そして最も奇妙な攻撃はマーガリンの「色」に向けられました。 マーガリンは、自然な状態では食欲をそそらないラードのような淡い白色です。そのため、製造業者はバターに似せるため黄色の着色料を加えていました。
酪農業界はこれを「詐欺の証拠」とみなし、猛烈なロビー活動を展開。30以上の州で、黄色いマーガリンの販売を禁止する法律を成立させることに成功します。
そして、この「色彩戦争」の狂気はニューハンプシャー州などで制定された「ピンク法」で頂点に達します。 この法律は、マーガリンをけばけばしい食欲を減退させるピンク色に染めることを義務付けるという信じがたいものでした。これは、立法によって製品を市場から抹殺しようとするあからさまな試みでした。
このピンク法は、さすがにやりすぎだと1898年に連邦最高裁判所によって違憲と判断されます。しかし、最高裁は同時に州が「黄色」の着色を禁止する権利は認めたため、色彩戦争はさらに50年も続くことになったのです。
この法の網をかいくぐるため、マーガリン製造業者は天才的な解決策を考案します。 それは、白いマーガリンの塊に黄色の食用染料が入ったカプセルを別添して販売するというものでした。 消費者は自宅で、脂肪に染料を練り込むという製造の最終工程を自ら行うことになったのです。この面倒な作業は、しばしば子供たちの仕事となり、何十年にもわたってアメリカの家庭の原風景の一部となりました。
第4章:主婦たちの密輸と上院議員の屈辱
酪農業の牙城であったウィスコンシン州のように、マーガリンそのものが全面的に禁止されていた州では、活発な闇市場が出現しました。 イリノイ州のような隣接州へ、主婦たちが車でマーガリンを買い出しに行く「オレオ・ラン」は、日常的な光景となります。ステーションワゴンに乗った祖母や母親たちが、禁制品のマーガリンを車のトランクに詰め込み州境を越える「密輸業者」と化していたのです。
この流れを決定的に変えたのが、世界大恐慌と第二次世界大戦でした。 バターは高価な贅沢品となり、戦時中は配給制で手に入りにくくなりました。安価で入手しやすいマーガリンは、必要に迫られてアメリカの食卓の必需品となったのです。
そして、この物語は、ウィスコンシン州で完璧な喜劇的クライマックスを迎えます。 州の上院議員ゴードン・ローゼリープは、「甘く健全なバター」を熱烈に擁護し、マーガリンを悪魔の産物として非難する最も声高な反対者でした。 1965年、マーガリン支持派の議員が彼に目隠しでの味比べ対決を挑みます。
絶対の自信を持って挑戦を受けたローゼリープ。しかし、彼は自信満々にマーガリンを指さし、「こちらが、より美味しい本物のバターだ!」と断言してしまったのです。
しかし、この物語には、さらに信じがたい後日談がありました。 彼の死後、家族が真相を明らかにしたのです。彼の妻は、夫の心臓の健康を案じ、長年にわたって、隣の州から密輸したマーガリンを、バターだと偽って食卓に出していたというのです。 彼が公の場で熱心に守っていた「バターの味」は、実は、彼が最も憎んでいたはずのマーガリンの味だった。この一件は酪農ロビーの主張の根幹を揺るがし、ついに1967年、ウィスコンシン州は全米で最後まで残っていたマーガリン禁止法を撤廃したのでした。
第5章:科学という名の戦場 – ヒーローから悪役への転落
バターとの政治戦争に勝利したマーガリンは、第二次世界大戦後、新たな武器を手に入れます。それは「科学」でした。 飽和脂肪酸を多く含むバターが、心臓病のリスクを高める「悪玉」としてやり玉に挙げられると、植物油から作られ、飽和脂肪酸が少ないマーガリンは、科学的に進歩した「心臓に良い」健康食品として、見事に生まれ変わったのです。
しかし、この科学の物語にも、壮大な大どんでん返しが待っていました。 マーガリンを製造する過程で生まれる、自然界には存在しない人工的な脂肪「トランス脂肪酸」。何十年もの間、その影響は知られていませんでした。
転換点となったのは1993年。ハーバード大学の研究が、このトランス脂肪酸が、飽和脂肪酸よりもさらに心臓病のリスクを高める、強力な証拠を突きつけたのです。 かつてマーガリンをヒーローに押し上げた科学は、今度はそれを最も危険な悪役へと突き落としました。 この発見は、公衆衛生における革命の引き金となり、2018年、アメリカでは食品への人工トランス脂肪酸の使用が、原則的に禁止されることになったのです。
結論:歴史のファイルに隠された、食をめぐる永遠の戦い
マーガリンの驚くべき旅路は、まさに変容の物語でした。 皇帝の褒賞として生まれた「真珠」は、アメリカで「偽バター」として中傷され、戦時中の必需品となり、科学の力で「健康食品」へと昇りつめ、そして最後には「危険な脂肪」の烙印を押されるというジェットコースターのような運命を辿りました。
バターとマーガリンの100年戦争は、現代にも続く、食をめぐる多くの問題を映し出す鏡です。 「自然」と「人工」の対立。巨大な産業の利益を守るための、政治とメディアの力。そして、昨日までの「科学的真実」が、今日には覆される、栄養科学の不確かさと科学の発展を示しています。
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