カナダの港が「爆弾」に変わった日。ハリファックス大爆発の謎

事件の不思議

1917年12月6日、午前9時4分35秒。カナダの港町ハリファックスは、一瞬にして地獄と化しました。 港内で起きた、ありふれた船の衝突。そのわずか20分後、フランスの貨物船SSモンブラン号が、閃光と共に大爆発を起こしたのです。

その威力は、原子爆弾以前の時代において、人類が引き起こした最大の大爆発でした。 きのこ雲は上空5km近くまで達し、街の一角は地図から消滅。約2,000人が即死し、9,000人以上が負傷するという、カナダ史上最悪の大惨事となったのです。

この物語の中心には、2隻の船の衝突という、単純な事故があります。 しかし、その背後には、第一次世界大戦という巨大な奔流、無視された警告、そして絶望的な状況下で生まれた、驚くべき英雄たちの物語が隠されていました。

なぜ、警告は人々に届かなかったのか。そして、運命の20分間に、一体何が起きていたのでしょうか。 今回は、歴史のファイルに記録された、忘れ去られた大災害の、驚くべき謎の真相に迫ります。


第1章:戦争の瀬戸際に立つ都市 – 災害が起きるべくして起きた背景

この悲劇を理解するためには、まず、1917年当時のハリファックスが、平和な港町ではなかったことを知る必要があります。 第一次世界大戦のさなか、ハリファックスは、北米とヨーロッパを結ぶ、連合国側の最も重要な軍事拠点の一つでした。港は、兵士や物資、そして大量の弾薬を積んだ船で、常にごった返していました。

この戦時下という異常な状況が、港の安全に対する感覚を、致命的なまでに麻痺させていたのです。

  • Uボートへの恐怖: 沖合に潜むドイツの潜水艦Uボートの脅威は、港のルールを歪めました。平時であれば、爆薬を満載した船が港の奥深くへ入ることは固く禁じられていました。しかし、沖合で貨物を降ろしていては、Uボートの格好の標的になってしまいます。
  • 消された警告旗: 同様に、危険物を積んでいることを示す赤旗の掲揚も、Uボートに自らの正体を知らせるようなものだとして、任意とされていました。
  • 常態化した規則違反: 急増した船舶交通量は、港内の航行ルールを形骸化させ、危険な航行が日常茶飯事となっていました。

戦争という目に見える脅威への対策が、皮肉にも、港そのものを巨大な「火薬庫」へと変えてしまっていたのです。ハリファックスは、小さな火花で大爆発を起こす、極めて危険な状態にありました。


第2章:二隻の船、一つの運命 – 偶然が紡いだ悲劇のシナリオ

この悲劇の主役となったのは、全く対照的な目的を持つ、二隻の船でした。

  • SSイモ号: ノルウェー船籍の救援船。ドイツ占領下のベルギーへ送る救援物資を積むため、ニューヨークへ向かう途中でした。船は空荷で、操縦が難しい状態でした。
  • SSモンブラン号: フランスのありふれた貨物船。しかし、その船倉は、人類がそれまで一ヶ所に集めた中で最大級の爆薬で満たされていました。
爆薬の種類積載量
ピクリン酸2,366.5トン
TNT火薬250トン
強綿薬62.1トン
ベンゾール246トン(甲板上のドラム缶)

モンブラン号は、単なる船ではなく、3キロトン近い爆発力を持つ、巨大な浮遊爆弾だったのです。 そして、二つの些細な「遅れ」が、この二隻を運命の衝突コースへと導きます。 イモ号は、石炭の補給の遅れで、出港が一日遅れました。 モンブラン号は、港への到着が遅れ、入り口の対潜水艦網が閉じていたため、港外で一夜を明かすことを余儀なくされました。

この二つの偶然が重なり、12月6日の朝、二隻の船は港の最も狭い水路「ザ・ナローズ」で、互いに向かい合うことになったのです。


第3章:警告なき20分間 – 街が見ていた「見世物」

午前8時45分。 航行ルールを無視して左側通行をしていたイモ号と、正しい航路を進んでいたモンブラン号が、ザ・ナローズで衝突します。 衝突そのものの衝撃は、それほど大きなものではありませんでした。

しかし、その瞬間に飛び散った火花が、運命を決定づけます。 衝突で破損したドラム缶から漏れ出した、引火性の高いベンゾールに引火。火は瞬く間にモンブラン号の船体を包み込みました。

船員たちは、船倉に眠る巨大な爆弾の恐怖から、消火活動を諦め、一目散に船を放棄。対岸に向かって必死にボートを漕ぎながら、危険を知らせようと叫びましたが、その声は港の喧騒にかき消され、誰にも届きませんでした。

主を失ったモンブラン号は、燃え盛る巨大な時限爆弾となって、ゆっくりと港内を漂流。そして、ハリファックス市リッチモンド地区の第6埠頭に、静かに接岸します。

衝突から運命の爆発まで約20分。 この時間は、街にとって最後の警告期間となるはずでした。 しかし、危険を知らせる赤旗はどこにも掲げられていません。

そのため、岸壁で燃え上がる船は市民にとって恐ろしい脅威ではなく、物珍しい「見世物」となってしまったのです。 学校の子供たち、工場の労働者、主婦…。多くの人々が仕事の手を止め、埠頭に集まり、あるいは自宅や職場の窓辺に駆け寄ってその不吉なスペクタクルを好奇の目で見つめていました。


第4章:瀬戸際の英雄たち – 沈黙に抗った声

街全体が迫りくる破局に気づかずにいた運命の20分間。 しかし、その沈黙を破り人々の命を救おうとした英雄たちもいたのです。

「列車を止めろ…さらばだ」 – 鉄道指令係の最後のメッセージ

ヴィンス・コールマンは、燃える船が漂着した埠頭のすぐそばにあるリッチモンド駅の鉄道指令係でした。 衝突後、船が爆薬を満載しているという警告を受けた彼は、一度は避難を始めます。しかし、彼は途中で足を止め、指令室へと引き返したのです。

彼の脳裏には間もなく駅に到着する、約300人の乗客を乗せた旅客列車の姿がありました。このままでは、列車は燃える船の真横で大爆発に巻き込まれてしまう。 自らの死を覚悟したコールマンは、電信キーを叩き、沿線の各駅に向けて最後のメッセージを送りました。

「列車を止めろ。弾薬船が港内で炎上中、第6埠頭へ向かっている。爆発するだろう。これが最後のメッセージになると思う。さらばだ、諸君」

この英雄的な警告は、内陸へ向かう全ての列車を停止させ多くの命を救いました。そして、外部の世界にこの大災害の第一報を伝えたのです。爆発後、彼の遺体は電信キーを握りしめたままの姿で指令席で発見されました。

「パトリシア号」の悲劇

火災の通報を受け、ハリファックス消防局の誇りであった、カナダ初の動力付き消防ポンプ車「パトリシア号」も、現場へと急行しました。 消防士たちは、それが日常的な船舶火災だと信じ、消火活動の準備を始めます。 しかし、その直後、モンブラン号は大爆発。現場にいた消防士たちは、消防長を含む9名が殉職するという、カナダ消防史上最悪の悲劇に見舞われました。


第5章:大破壊と、白い追撃

午前9時4分35秒。 モンブラン号の積荷がついに引火。ハリファックスは一瞬で地獄と化しました。

  • 爆発と津波: 2.9キロトンの爆発は、衝撃波で街を粉砕し、高さ18メートルの津波を発生させました。
  • 眼球損傷の悲劇: そして、この爆発がもたらした最も悲劇的な被害が、大規模な眼球損傷でした。警告がなかったために窓辺で見物していた何百人もの市民が、爆風で粉々になった窓ガラスの破片を顔面に受け、失明、あるいは深刻な視力障害を負ったのです。

しかし、悲劇はこれで終わりませんでした。 翌日、壊滅状態のハリファックスを、猛烈な吹雪が襲います。 最大40cmの積雪は救助活動を著しく妨げ、家を失った被災者たちを凍えさせ、瓦礫の下で助けを待つ生存者の命をさらに奪っていったのです。

結論:歴史に隠された、破壊と再生の物語

ハリファックス大爆発は、戦争が生んだ一つの都市の悲劇でした。 それは、単なる偶然の事故ではなく、戦時下という異常な状況が安全規則を麻痺させ、人々の判断を狂わせた結果として起きたシステム全体の破綻だったのです。 最終的に、この大惨事の責任を問われ有罪判決を受けた者は、一人もいませんでした。

しかし、この絶望の灰の中から、新しい希望も生まれました。

  • 医学の進歩: 多数の眼球損傷者や火傷患者の治療経験は、カナダの眼科治療や小児外科の分野を、飛躍的に進歩させました。
  • 都市の再生: 壊滅した地区は、当時の最先端の都市計画思想を取り入れて再建され、カナダにおける公共住宅プロジェクトの先駆けとなりました。
  • 国境を越えた友情: そして、最も迅速で大規模な援助の手を差し伸べた、アメリカのボストン市への感謝の気持ちは、今も続く一つの美しい伝統を生み出しました。ハリファックスは毎年、感謝の印として、ボストン市にクリスマスツリーを贈り続けているのです。

ハリファックスの街に刻まれた傷跡は破壊と再生、そして絶望の中から立ち上がる人間の強靭な回復力の物語を、今も静かに語りかけています。

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