「カップラーメンを作っている間に終わってしまう戦争があるらしい」
そんな噂を聞いたことはありますか?まるで冗談のような話ですが、これはギネス世界記録にも認定されている、紛れもない事実です。 1896年に起きた「イギリス・ザンジバル戦争」。その時間は、わずか38分。
しかし、このユーモラスな伝説の裏には、およそ500人が死傷するという、血なまぐさい現実が隠されています。 なぜ、一つの国が滅びるほどの戦争が、これほど短い時間で終わってしまったのでしょうか?そして、なぜこの悲劇が「カップラーメン」という無害なたとえで語られるようになったのでしょうか。 今回は、世界で最も短く、そして最も不思議な戦争の謎に迫ります。
すべての始まり:王の死と、たった一人の反逆者
物語の舞台は、19世紀末のアフリカ東海岸に浮かぶ、香辛料と奴隷貿易で栄えた豊かな島国「ザンジバル王国」。
当時、世界中に植民地を広げていた大英帝国(イギリス)は、この戦略的に重要な島を事実上の保護国として支配していました。スルタン(王様)の座に就くには、イギリスの承認が必要という、屈辱的な条約を結ばされていたのです。
1896年8月25日、イギリス寄りだったスルタンが急死します。すると、その従兄弟であるハリド・ビン・バルガシュという29歳の若者が、この条約を完全に無視。宮殿を占拠し、「私が新しいスルタンだ!」と一方的に宣言してしまったのです。
ハリドは、イギリスの支配に不満を持つ国民や、奴隷貿易で富を得ていた支配者層から大きな支持を得ていました。彼は、イギリスの言いなりになる傀儡ではなく、真の独立国家の王として君臨することを夢見ていたのです。しかし、その夢は、世界最強の帝国を敵に回す、あまりにも危険な賭けでした。
不思議なほど不釣り合いな戦力
イギリス領事ベイジル・ケイブは、ハリドに最後通牒を突きつけます。 「8月27日の午前9時までに宮殿を明け渡し、旗を降ろさなければ、砲撃を開始する」
しかし、ハリドはこれを鼻で笑い、こう返信したと言われています。 「我々に旗を降ろす意図はない。あなたたちが本気で撃ってくるとは信じていない」
この返答は、彼の致命的な誤算でした。彼は、自分たちがこれから戦う相手がどれほど恐ろしい存在か、全く理解していなかったのです。
- イギリス海軍(攻める側)
- 兵力: 鋼鉄でできた最新鋭の巡洋艦2隻と砲艦3隻。約1000人のよく訓練された兵士。
- 兵器: 着弾すると大爆発を起こす高性能榴弾を発射できる、巨大な大砲。連射可能なマシンガン。
- ザンジバル王国軍(守る側)
- 兵力: 木造の王室ヨット「HHSグラスゴー」がたった一隻。約2800人の兵士(ただし、その多くは急遽武装させた市民や奴隷)。
- 兵器: 17世紀に作られた青銅製の大砲や、外国からの贈り物である旧式のガトリング砲。
これはもはや「戦争」ではありませんでした。現代の最新鋭ステルス戦闘機が、竹槍で戦う村を襲うようなもの。あまりにも不釣り合いで、残酷な戦いの幕が上がろうとしていました。
地獄の38分間:宮殿が炎に包まれた日
約束の午前9時、ハリドが旗を降ろさないのを確認したイギリス艦隊は、その2分後、一斉に砲撃を開始しました。
鋼鉄の軍艦から放たれた数百発の砲弾が、木造の豪華なスルタンの宮殿に次々と着弾。宮殿はまたたく間に炎上し、巨大な黒煙を噴き上げました。 ザンジバル側も必死に応戦します。王室ヨット「グラスゴー」は、勇敢にもイギリス艦隊に向けて発砲しますが、その貧弱な大砲では巨大な鋼鉄の船に傷一つ付けられません。逆に、たった一発の反撃を受けただけで、「グラスゴー」はあっけなく沈没してしまいました。
そして午前9時40分。 砲撃開始からわずか38分後、宮殿に掲げられていたスルタンの旗が砲弾の直撃を受けて倒れます。これを降伏の合図とみなし、イギリス側は砲撃を停止しました。
結果
- ザンジバル側の被害: 死傷者 約500人。宮殿は全焼。海軍は壊滅。
- イギリス側の被害: 兵士1名が軽傷。
戦いの後:王子の逃亡と、あまりにも残酷な「請求書」
砲撃のさなか、スルタン・ハリドは宮殿から脱出。近くのドイツ領事館に駆け込み、保護を求めました。当時、ドイツとイギリスはライバル関係にあったため、ドイツはハリドを匿い、後日、軍艦を使って彼をアフリカ本土へと亡命させたのです。
一方、イギリスはすぐに新しいスルタンを即位させ、ザンジバルを完全に支配下に置きました。そして、この戦争の締めくくりとして、信じられない行動に出ます。
なんと、ハリドを支持したザンジバルの人々に、「砲撃に使った砲弾の費用」として、賠償金の支払いを命じたのです。自分たちの国を破壊された上に、その破壊に使われた弾薬代まで請求される。これほど屈辱的な戦後処理は、歴史上でも稀でしょう。
謎の結論:「カップラーメン戦争」の神話はなぜ生まれたか
さて、冒頭の謎に戻りましょう。なぜこの戦争は「カップラーメン」に例えられるのでしょうか?
実は、この例えは歴史的に全く正しくありません。 インスタントラーメンが発明されたのは1958年、カップヌードルが発売されたのは1971年。この戦争から半世紀以上も後のことです。
この奇妙なニックネームは、おそらく日本で生まれた現代の神話です。複雑で馴染みの薄い歴史を、「38分」という異常な短さだけを切り取って、身近で面白いものに例えようとした結果なのでしょう。
しかし、この戦争が短かったのは、戦いが楽だったからではありません。 それは、両者の力の差があまりにも絶対的で、ザンジバル側には有効な抵抗をすることさえ許されなかったからです。
「カップラーメン」という手軽な言葉は、この事件の裏にある帝国主義の圧倒的な暴力と、一つの国が独立を失った悲劇を、あまりにも無邪気に覆い隠してしまいます。
イギリス・ザンジバル戦争の本当の「不思議」は、その短さにあるのではなく、歴史の残酷な事実が、時を経ていかにして無害で消費されやすい「面白い雑学」へと姿を変えてしまうか、という記憶の変容そのものにあるのかもしれません。
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