アメリカ陸軍ラクダ部隊?忘れ去られた西部開拓の夢と砂漠に消えた「赤い亡霊」の謎

歴史の不思議

1856年、アメリカのテキサスに、異様な光景が出現しました。アメリカ陸軍が、中東から輸入したラクダを軍事利用しようという、前代未聞の実験を開始したのです。ジェファーソン・デイヴィス陸軍長官の肝煎りで始まったこの「アメリカ陸軍ラクダ部隊」の計画は、広大な南西部の乾燥地帯における輸送問題を解決するはずでした。しかし、なぜこの一見合理的なアイデアは、アメリカの歴史から忘れ去られてしまったのでしょうか?そして、砂漠をさまよう「赤い亡霊」と呼ばれる怪物の正体とは何だったのでしょうか?

今回は、アメリカ陸軍ラクダ部隊の興亡を追いながら、西部開拓時代に埋もれた奇妙な物語とその謎に迫ります。

第一章:「偉大なアメリカ砂漠」と一人の政治家の熱意

19世紀半ば、アメリカは西部への領土拡大を推し進めていました。しかし、新たに獲得した南西部は、「偉大なアメリカ砂漠」と呼ばれる過酷な乾燥地帯であり、軍の輸送は大きな困難に直面していました。馬やラバは暑さと水不足に弱く、輸送コストは莫大なものになっていたのです。

この状況を打開しようと立ち上がったのが、当時の陸軍長官ジェファーソン・デイヴィスでした。彼は、砂漠の民が古くから利用してきたラクダこそが、この問題の解決策になると確信し、議会でラクダ購入のための予算獲得に奔走します。幾度もの反対を乗り越え、1855年、ついにラクダ輸入計画が承認されたのです。

しかし、この計画は最初から、単なる軍事的な必要性だけでは語れない側面を抱えていました。一部の歴史家は、デイヴィスをはじめとする南部の政治家たちが、南西部に奴隷制プランテーションを拡大する野望を持っており、ラクダをそのための労働力として考えていた可能性を指摘しています。さらに驚くべきことに、ラクダ輸入計画が、当時非合法であったアフリカからの奴隷密輸の隠れ蓑に使われようとした形跡まであるのです。

第二章:海を渡った「砂漠の船」と異文化との遭遇

ラクダ部隊計画の実行のため、USSサプライ号が地中海へと派遣されました。船長のポーター大尉は、ラクダを安全に輸送するために船を大改造し、ラクダのための特別な「小屋」まで建設しました。

チュニス、エジプト、トルコでの買い付けは、まさに異文化との遭遇であり、価格交渉の難航や、地元当局との予期せぬトラブルが続出しました。それでも、ウェイン少佐とポーター大尉の粘り強い交渉と、時には贈り物も活用しながら、最終的に30頭を超えるラクダを確保することに成功します。

この買い付けの旅で、もう一人重要な人物が登場します。アラブ人のラクダ使い、ハッジ・アリです。彼は、アメリカ兵にラクダの扱い方を教えるために雇われましたが、アメリカ人には発音が難しく、「ハイ・ジョリー」と呼ばれるようになります。彼は、後にアメリカ西部の伝説的な人物として語り継がれることになります。

荒波を乗り越え、30頭以上のラクダを乗せたサプライ号は、ついにテキサスへと到着しました。

第三章:砂漠での試練と兵士たちの困惑

テキサスのキャンプ・ヴェルデで、ラクダの能力試験が始まりました。ラクダは、その驚異的な運搬能力と、過酷な環境への適応力を見せつけます。ビール中尉率いる遠征隊では、ラクダが馬やラバをはるかに凌駕する性能を発揮し、砂漠の長距離輸送におけるその有用性が証明されました。

しかし、ラクダと人間との間には、大きな壁が存在していました。兵士たちは、ラクダの強烈な臭い、気性の荒さ、そして馬やラバをパニックに陥れる性質を嫌悪したのです。ラクダは、あくまで「道具」であり、「相棒」となることはありませんでした。

客観的なデータでは優れていたラクダでしたが、それを扱う人間の文化や、既存の軍事システムとの相性の悪さが、この実験の大きな障壁となったのです。

第四章:南北戦争の勃発と忘れ去られた部隊

ラクダ部隊の将来に希望が見え始めた矢先、アメリカは南北戦争へと突入します。計画の推進者であったデイヴィスは南軍の大統領となり、ラクダ部隊は文字通り、国家の分断に翻弄されることになります。

南軍に接収されたラクダは、兵士たちの不慣れな扱いのために有効活用されず、多くが放置されました。一方、北軍に残ったラクダも、戦争の主戦場が東部に移る中で、その戦略的な価値を見出されることはありませんでした。

1864年、陸軍長官スタントンは、ラクダ部隊の解散を決定し、残存するラクダは競売にかけられました。こうして、西部開拓の夢を託されたラクダ部隊は、歴史の舞台から静かに姿を消したのです。

終章:砂漠に消えたラクダたちと「赤い亡霊」の伝説

払い下げられたラクダたちは、サーカスや動物園に引き取られたり、見捨てられて砂漠で野生化したりしました。そして、その野生化したラクダの中から、「赤い亡霊」と呼ばれる恐ろしい怪物の伝説が生まれたのです。

1883年、アリゾナで初めて目撃された「赤い亡霊」は、背中に骸骨を背負った巨大な赤い獣だと恐れられました。人を襲い、家畜を殺すという噂が広まり、人々を恐怖に陥れました。10年後、ついに射殺されたその正体は、背中に革のストラップが食い込んだ、一頭の野生化したラクダでした。なぜ骸骨が背中にあったのかは謎のままですが、ラクダ部隊の悲劇的な末路を象徴するような、奇妙な物語として語り継がれています。

一方、ラクダ使いのハイ・ジョリーは、軍を離れた後、孤独な放浪生活を送りましたが、その功績は忘れられることはありませんでした。彼の墓には、ラクダのシルエットを頂くピラミッド型の記念碑が建てられ、今もアリゾナの砂漠に静かに佇んでいます。

結論:夢の跡と残された教訓

アメリカ陸軍ラクダ部隊の実験は、その壮大な構想と、砂漠におけるラクダの優れた能力にもかかわらず、多くの要因が重なり、最終的に失敗に終わりました。しかし、この忘れ去られた物語は、技術的な合理性だけでなく、文化的な適合性、そして時代の大きな流れがいかに重要であるかを教えてくれます。

アリゾナの荒野に消えたラクダたちと、砂漠に語り継がれる「赤い亡霊」の伝説は、西部開拓時代の知られざる一幕として、今も私たちの想像力を掻き立てています。

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