1959年6月8日、冷戦の緊張が世界を覆う中、アメリカ海軍の潜水艦から一基の巡航ミサイルが発射されました。しかし、その弾頭に搭載されていたのは核爆弾ではなく、3,000通の手紙でした。
これは、歴史上ただ一度だけ実行された「郵便ミサイル」計画。
郵政省の近代化を夢見る野心的な長官と、ソ連に技術力を見せつけたい国防総省の思惑が一致し、国家の威信をかけた壮大なプロジェクトが実現しました。
この記事では、SFのようなこの計画がなぜ生まれ、どのように実行され、そしてなぜたった一度の「ショー」で終わってしまったのか、その技術的な夢想と冷戦下の厳しい現実を解き明かしていきます。
一世紀にわたる夢:ロケット郵便の夜明け
ミサイルで郵便を届けるという奇想天外なアイデアは、1959年に突如として現れたわけではありません。その夢は、1世紀以上も前から世界中の発明家たちによって追い求められてきました。
- 19世紀初頭:ドイツの作家ハインリヒ・フォン・クライストが、手紙を詰めた砲弾を大砲で発射するアイデアを提唱。
- 1930年代:オーストリアのフリードリヒ・シュミードルが世界初の公式なロケット郵便飛行に成功。ドイツのゲルハルト・ツッカーはイギリスで派手なデモンストレーションに失敗。そしてインドのスティーブン・スミスは、270回以上もの打ち上げを成功させ、家畜や救援物資までロケットで輸送しました。
これらのアマチュアによる実験と1959年の計画の決定的な違いは、主役が信頼性の低い「ロケット」から、国家が支援する精密誘導可能な軍事用「ミサイル」へと移行した点にありました。
異例の同盟:郵政長官と国防総省の思惑
この奇妙な計画は、全く異なる目的を持つ二つの組織の「便宜上の結婚」によって実現しました。
近代化を目指す郵政長官:アーサー・E・サマーフィールド
実業家出身の郵政長官アーサー・E・サマーフィールドは、旧態依然とした郵政省を近代化することに情熱を燃やしていました。彼にとって郵便ミサイル計画は、郵政省を未来的な「ミサイル時代」の象徴へと押し上げる、究極のPR戦略だったのです。
国防総省の戦略的ツール:レギュラスI巡航ミサイル
実験に使用されたのは、アメリカ海軍初の核搭載可能巡航ミサイル「レギュラスI」。しかし、このミサイルはすでに旧式化し、次世代のポラリスミサイルにその役目を譲ることが決まっていました。
国防総省にとってこの実験は、退役間近の兵器に最後の晴れ舞台を与えつつ、ソ連に対して「アメリカはこれほど精密にミサイルを誘導できる」という技術力を誇示するための、絶好の機会だったのです。
メイポートへの22分間:歴史的な郵便飛行
1959年6月8日、潜水艦USSバーベロの艦内に臨時の郵便局が設置され、サマーフィールド郵政長官自らが3,000通の手紙をミサイルに搭載しました。宛先はアイゼンハワー大統領をはじめ、世界各国の要人たち。特別な消印が押されたこれらの手紙は、即座にコレクターズアイテムとなりました。
フロリダ沖で発射されたミサイルは、時速約965km/hで飛行し、わずか22分で160km離れたメイポート海軍補助航空基地に無事着陸。
この成功を目の当たりにしたサマーフィールドは、熱狂的に宣言しました。
人類が月に到達する前に、郵便物はニューヨークからカリフォルニアまで、誘導ミサイルによって数時間で配達されるだろう。
モスクワへのメッセージ:プロパガンダとしての郵便ミサイル
この実験の真の目的は、郵便配達の効率化ではありませんでした。それは、冷戦下のライバル、ソビエト連邦に向けた強力なプロパガガンダだったのです。
「ミサイル・ギャップ」とスプートニクの衝撃
1957年のソ連による人工衛星「スプートニク」の打ち上げ成功は、アメリカに「ミサイル・ギャップ」という深刻な技術的劣勢感を植え付けました。郵便ミサイル実験は、この国民的不安を払拭し、アメリカの技術的優位性を国内外に示すための政治的なショーでした。
核弾頭を搭載するスペースに郵便コンテナを収め、それをピンポイントで目的地に届けることで、「我々はこの精度で核弾頭をモスクワに送り込める」という無言のメッセージを送ったのです。
壮大な失敗:なぜ計画は続かなかったのか?
華々しい成功を収めたにもかかわらず、郵便ミサイル計画がたった一度で終わった理由は、至極単純なものでした。
法外なコストと非効率性
レギュラスIミサイル1基の価格は、当時のお金で約26万7,000ドル。3,000通の手紙を運ぶには、あまりにも法外なコストでした。
以下の表で比べれば一目瞭然ですが、コストがかかりすぎるのです。
評価基準 | 郵便ミサイル(レギュラスI) | 従来の航空郵便 |
ユニットコスト | 約267,000ドル | はるかに低い |
積載容量 | 3,000通 | 数万通 |
インフラ | 海軍潜水艦、軍事基地 | 民間空港 |
再利用性 | 低い | 高い |
ミサイルは速くても、その後の仕分けや配達には結局時間がかかり、すでに十分に効率的だった航空郵便に取って代わるメリットは何もなかったのです。
結論:冷戦が生み出した奇想天外なアイデア
郵便ミサイル計画は、技術的な夢想と冷戦下の政治劇が交差した、1950年代という時代を象徴する出来事でした。ただの奇想天外な思い付きと無駄な実験だったわけではなく、冷戦下のソ連への軍事的、心理的牽制という「手紙をとてつもなく早く届けること」以外の大きな目的があったのです。このような奇想天外なアイデアが出てきたのも、「冷戦」という特殊な政治状況にアメリカが置かれていたからなのかもしれません。
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