1986年、イギリスの穏やかな島にオランダの大使が降り立ち、335年間も続いていた戦争を終結させるための平和条約に署名しました。
驚くべきことに、この戦争では一発の銃弾も放たれず、犠牲者は一人も出ていません。それどころか、当事者であるオランダ政府はその存在すら完全に忘れていたのです。
一体なぜ、二つの国が3世紀以上も公式な戦争状態にありながら、その事実を誰もが忘れてしまったのでしょうか?
清教徒革命の混沌、海賊行為、そして一人の歴史家の探求心から始まった、世界史でも類を見ない「存在しなかった戦争」の奇妙で心温まる物語を解き明かします。
紛争の背景:イングランド内戦と海賊の巣窟
この奇妙な戦争の火種は、17世紀半ばのヨーロッパが経験した、極めて暴力的で不安定な時代に遡ります。
イングランド内戦と国王派の最後の砦
1642年から始まったイングランド内戦(清教徒革命)により、イングランドは国王派と議会派に分かれて血みどろの戦いを繰り広げていました8。1651年までには、オリバー・クロムウェル率いる議会派が勝利を収め、国王派はイングランドの辺境へと追い詰められます。
国王派海軍が最後の拠点として選んだのが、イングランド南西端に浮かぶシリー諸島でした。
オランダ商船への略奪行為
この最後の砦から、国王派艦隊は事実上の海賊行為を開始。敵である議会派だけでなく、当時イングランドの同盟国であったオランダの商船にも襲いかかり、甚大な損害を与えました。
オランダにとって、これは単なる海賊事件ではありませんでした。最大の貿易競争相手であるイングランドが内戦で揺れる中、その一方の勢力が自国の経済の生命線を脅かすという、極めて複雑な状況だったのです。
年代 | 出来事 |
1642年–1651年 | イングランド内戦(清教徒革命)。 |
1648年 | 国王派海軍が最後の拠点としてシリー諸島へ撤退。 |
1651年3月30日 | オランダのマールテン・トロンプ提督がシリー諸島に対し宣戦布告。 |
1651年6月 | 議会軍がシリー諸島を占領し、国王派が降伏。 |
1652年–1654年 | 第一次英蘭戦争が勃発。 |
1654年 | ウェストミンスター条約により第一次英蘭戦争終結。しかしシリー諸島との戦争には言及されず。 |
1985年 | 歴史家ロイ・ダンカンがオランダ大使館に伝説の真偽を問い合わせる。 |
1986年4月17日 | 平和条約が調印され、335年間の「戦争」が正式に終結。 |
ある種の宣戦布告:提督の法的アクロバット
オランダは、この国王派の海賊行為を止めるため、国民的英雄マールテン・トロンプ提督率いる艦隊を派遣します。
賠償要求を拒否されると、トロンプ提督は1651年3月30日、ついに宣戦を布告しました。
しかし、その布告は極めて奇妙なものでした。イングランド全体ではなく、あくまで「シリー諸島」という特定の地域に限定されていたのです。これは、議会派との同盟関係を壊さずに、国王派にのみ軍事行動を起こすための、意図的な「法的アクロバット」でした。
この「戦争」は、しかし、始まる前に終わります。わずか3ヶ月後、議会派の艦隊がシリー諸島を占領し、国王派は降伏。オランダ艦隊は戦う理由を失い、一発の銃弾も撃つことなく帰還しました。
そして、この時、誰も平和条約を結ぶことをしなかったのです。
長い沈黙:なぜ戦争は忘れられたのか?
宣戦布告された戦争状態が、なぜ3世紀以上も忘れ去られてしまったのでしょうか。
その最大の理由は、この無血の出来事が、直後に勃発したより大規模で血なまぐさい第一次英蘭戦争(1652-1654)の影に完全に隠れてしまったからです。
1654年にこの大規模な戦争がウェストミンスター条約で終結した際、もはや存在しない国王派分派との間の、あの小さな「戦争」のことなど、誰も気に留めませんでした。包括的な平和条約によって、暗黙のうちに解決されたと誰もが考えたのです。
公式記録から消えた戦争は、しかし、シリー諸島では「オランダとはまだ戦争状態にある」という、地元のユーモラスな伝説として語り継がれていきました。
平和の訪れ:歴史家の探求と外交的ジョーク
物語が再び動き出すのは、20世紀になってからです。
1985年、シリー諸島議会の議長であり、熱心な郷土史家でもあったロイ・ダンカン氏が、この長年の伝説の真相を確かめるため、ロンドンのオランダ大使館に手紙を書きました。
驚いたことに、大使館が古文書を調査した結果、平和条約が結ばれた記録はどこにも存在しないことが判明。伝説は真実だったのです。
335年目の平和条約 📜
これを受けて、1986年4月17日、オランダの駐英大使ライン・ハイデコペル氏がシリー諸島を訪問。豪華な巻物に署名し、335年間の「戦争」はついに正式な終結を迎えました。
調印式で、大使は機知に富んだ有名なジョークを飛ばしました。
「いつ我々が攻撃してくるかと知っていたシリー島の住民の方々は、さぞかし恐ろしかったことでしょう」
この心温まる結末は国際的なニュースとなり、地元の奇譚は世界を和ませる美談へと変わりました。
結論:血なき戦争が残した遺産
この「三百三十五年戦争」が法的に有効な戦争だったのかについては、専門家の間でも意見が分かれます。しかし、その「現実性」を問うこと自体が、この物語の面白さなのかもしれません。
最終的にこの物語は、17世紀の混沌から生まれ、歴史の喧騒の中で忘れ去られ、地域の記憶の中でひっそりと生き続け、そして20世紀のメディアの光の中で笑顔と共に終結しました。
この風変わりなエピソードは、シリー諸島の観光PRとして大成功を収め、島のユニークなアイデンティティの一部となっています。それは、歴史の片隅に平和と良き物語を見出す、人間のユーモアと粋な計らいの証として、これからも語り継がれていくことでしょう。
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