序章:偽物外科医の船の上の手術室
1951年、朝鮮戦争が激しく続く日本海。カナダ海軍の軍艦HMCSカユーガの甲板は、あっという間に簡易病院になりました。韓国のゲリラ部隊が戦いの後、運ばれてきたのです。負傷はひどく、手榴弾の破片で傷ついた体、銃弾が貫通した体、そしてある兵士の胸には心臓のすぐ近くに銃弾が食い込んでいました。
混乱の中乗組員たちの目は一人の男性に集まっていました。船の中でただ一人の「外科医」、ジョセフ・シル海軍大尉です。絶望的な状況で彼は落ち着いて負傷者を診察し、手術の準備を命じました。その姿はとても偉大で自信に満ちて見えました。
しかし、この話の中心にある信じられない事実は、この男性がジョセフ・シルという外科医本人ではなかったということです。彼の本当の名前はフェルディナンド・ウォルド・デマラ。高校を中退し、医学の資格など全く持たない完全な偽物でした。彼がこれから挑むのは、文字通り命に関わる大手術だったのですが、医学の知識を全く持たない偽物の彼は、医学の教科書をものすごい速さで読んで覚えたばかりの知識だけを頼りに手術を行ったのです。そんな無茶苦茶な手術の結末はどうなったのでしょうか?
第1章:詐欺師の始まり
恵まれた幼少期、そして貧しさへ
フェルディナンド・ウォルド・デマラの話は、1921年、アメリカのマサチューセッツ州ローレンスで始まりました。お父さんは成功した映画技師で、一家は裕福な地域の大きな家に住んでいました。しかし、1930年代初めの大恐慌がデマラ家の運命を変えます。お父さんは財産のほとんどを失い、一家は貧しい地域へ引っ越さなければならなくなりました。この幼い頃の上流怪獣からの没落は、デマラの心に深い影を落とし、その後の人生を大きく左右することになります。
地位への憧れと致命的な欠点
失われた豊かな生活を取り戻したいという強い願いが、デマラの行動の原動力となりました。彼はお坊さん、学者、軍人といった、社会で尊敬される職業に強く憧れていました。しかし、彼にはその夢を叶えるための決定的な弱点がありました。それは「我慢できない」ということでした。彼はとても頭が良かったのですが、地道な努力を重ねて資格や地位を手に入れるという、まっとうなやり方には耐えられなかったのです。そこで彼は、身分を偽り、経歴をでっちあげることで、成功への「近道」を突き進むことを決めました。彼の詐欺師としての人生は、失われた地位への憧れと、それをまっとうな方法で手に入れる努力が出来ないという性格から生まれた、ちょっと変わった抜け道だったのです。
最初の逃亡と反抗
彼の詐欺師人生の始まりは16歳の時です。デマラは年齢を偽り、ロードアイランド州の厳しい修道院に入りました。しかし、たった2年後、「性格が合わない」という理由で追い出されてしまいます。この経験は、彼の生涯を通じて繰り返されるパターンを作りました。それは尊敬される組織に所属するものの、その規則に耐えられずに逃げ出すか、追い出されるか、という繰り返しです。
軍隊からの逃亡劇
1941年、19歳でアメリカ陸軍に入隊しますが、やはり軍隊の厳しさには馴染めませんでした。彼は友人の身分証明書を盗んで脱走し、今度は海軍に入隊するという大胆な行動に出ます。海軍では医療の専門家を目指しましたが、偽造した卒業証明書がバレそうになると、今度は自分の死を偽って再び逃げ出しました。これらの行動は、デマラが困った時に問題を解決するのではなく、もっと大きな嘘で状況をリセットするという彼の基本的な手口をはっきりと示しています。それは、彼の人生そのものが一つの嘘から次の嘘へと続く、終わりのない逃亡であることを物語っていました。
第2章:盗まれた人生の数々
詐欺師の特別な能力
デマラの驚くべき詐欺行為を可能にしたのは、彼の並外れた能力でした。彼は非常に高いIQを持ち、一度見たものを写真のように記憶する「映像記憶能力」を持っていたと広く信じられています。この能力のおかげで、彼は専門書を短時間で読み込み、必要な知識や技術を驚くほど正確に吸収することができました。
詐欺のルール
彼は自分の詐欺を成功させるため、いくつかの基本的なルールを決めていました。その中でも特に重要だったのは、「罪を訴える側が証拠を出す責任がある」そして「危険な時は、攻めろ」という二つの考えでした。さらに彼は、「誰も手をつけていない権力の場所に入り込む」という独自の考え方も持っていました。これは、既存の組織の中で競争するのではなく、組織の中に誰もやっていない新しい分野や委員会を自分で作り出し、その分野で一番の人物になることで、過去の実績や基準で評価されることなく、絶対的な権威を確立するという戦略でした。このやり方は彼が単なる嘘つきではなく、組織の仕組みを巧みに利用する抜け目のない戦略家であったことを示しています。
なりすましの記録
朝鮮戦争での「活躍」以前にも、デマラはたくさんの別人になりきって、その腕を磨いていました。
- ロバート・リントン・フレンチ博士: 彼は心理学者になりすまし、ペンシルベニア州のガノン・カレッジで先生をしました。それだけでなく、哲学部の学部長にまでなり、子育てに関する小さな本を出版して評判になりました。しかし、偽造小切手事件をきっかけに、その場所を去ることになります。
- ブラザー・ジョン・ペイン: メイン州のキリスト教系の修道会の一員として、彼は一人で大学(ラメネー・カレッジ、現在のウォルシュ大学)を設立し、州からの認可まで取り付けました。しかし、その大学の学長に任命されなかったことに腹を立て、あっさりと修道会を辞めてしまいます。
これらの経歴は、デマラが単に身分を偽るだけでなく、その役職で驚くべき成果を上げていたことを示しています。彼は、自分が作り出した「誰も手をつけていない権力の場所」で、誰にも評価されることなく自分のルールを作り、絶対的な存在となることで、その地位を確かなものにしていたのです。
表1:デマラの詐欺経歴年表
彼の詐欺師としてのキャリアの広がりと多様性を示すため、分かっている主な偽りの身分を以下にまとめます。この表は、彼が一貫して権威と尊敬を求めて、お坊さん、学者、軍人、警察官といった分野を渡り歩いたことを視覚的に示しています。
| 期間(推定) | 偽りの身分 | 職業/役割 | 所属組織/場所 |
| 1937-1939 | (年齢詐称) | 修道士 | トラピスト修道会 |
| 1941 | アンソニー・イグノリア | 陸軍兵士(脱走) | アメリカ陸軍 |
| 1941-1942 | (本人) | 衛生兵 | アメリカ海軍 |
| 1942-1945 | ロバート・リントン・フレンチ博士 | 心理学教授、学部長 | ガノン・カレッジ(ペンシルベニア州) |
| 1950 | セシル・ハマン博士 | 大学講師 | ブラザー・オブ・クリスチャン・インスティテュート(メイン州) |
| 1951 | ブラザー・ジョン・ペイン | 修道士、大学設立者 | ブラザーズ・オブ・クリスチャン・インストラクション(メイン州) |
| 1951-1952 | ジョセフ・シル医師 | 海軍軍医大尉 | カナダ海軍(HMCSカユーガ) |
| 1955-1956 | ベン・W・ジョーンズ | 刑務所看守補佐 | ハンツビル刑務所(テキサス州) |
| その他 | – | 土木技師、動物学者、弁護士、がん研究者など多数 | – |
第3章:シル医師になるまで
完璧なターゲット
デマラの最も大胆な詐欺行為は、ある偶然の出会いから始まりました。「ブラザー・ジョン」としてメイン州の修道会にいた頃、彼は本物のカナダ人医師、ジョセフ・C・シルと知り合い、仲良くなりました。シル医師はアメリカで病院を開く準備をしており、移住の手続きに手助けが必要でした。
資格の盗難
デマラは親切を装って手続きの手伝いを申し出ました。シル医師は彼を信じ、身分を証明する全ての書類、つまり出生証明書から医学部の卒業証書までをデマラに預けました。デマラはこれらの書類をこっそりコピーし、本物は何も知らないシル医師に返しました。こうして彼は、本物の医師の完璧な経歴を手に入れたのです。
絶好のチャンス
新しい身分を手に入れたデマラは、自分の才能を最大限に活かせる場所を探しました。そして、朝鮮戦争が始まったことで、カナダ海軍が医療の専門家を強く求めているというまたとないチャンスを見つけました。戦争中の混乱と人手不足は、厳しい身元調査のプロセスを形骸化させる絶好の条件でした。
断れない申し出
1951年3月、デマラはニューブランズウィック州セントジョンの海軍採用事務所に現れ、自分をジョセフ・シル医師だと名乗りました。そして、彼は海軍に対して驚くべき最後通牒を突きつけました。「私を将校として雇わないなら、陸軍に行くだけだ」。経験豊富な外科医を逃したくない海軍は、この強気な申し出を受け入れました。彼の経歴はほとんど調べられることなく、応募は異例の速さで承認されました。わずか数日で、デマラはカナダ海軍の外科医、ジョセフ・シル大尉として任命されたのです。この一連の出来事は、一人の個人の素直な信頼と、大きな組織のシステム的な弱さという二つの要素が奇跡的に組み合わさった「完璧な嵐」でした。デマラは、個人の心理と組織の焦りを巧みに操ることで、彼のキャリア史上最大の詐欺を成功させたのです。
第4章:カユーガ艦上の奇跡と抜歯
信頼の獲得
軍艦HMCSカユーガに配属された「シル医師」は、すぐに乗組員たちの信頼を勝ち取りました。彼は人当たりが良く、有能で、完全に信頼できる将校として振る舞いました。お酒もタバコもやらないのに、いつもパーティーの中心にいるような陽気な人物だったと、当時の同僚は語っています。
小さな成功、大きな自信
彼は日々の医療業務を問題なくこなし、乗組員の評判を高めていきました。後に彼の正体を知ることになる士官、ピーター・ゴドウィン・チャンスは、自分の感染した足の指をデマラが治療した時のことをはっきりと覚えています。デマラは一晩かけて「勉強」した後、翌日には完璧な手際で小さな手術を成功させたと言います。
艦長の歯
彼の評価を決定的に高めたのは、艦長ジェームズ・プローマーを襲った出来事でした。艦長がひどく腫れた奥歯の痛みに苦しんでいた時、治療にあたったのがデマラでした。デマラは「歯の治療の経験はあまりない」と正直に(あるいは、そう見せかけて)告げた上で、またも一晩かけて教科書を読み込みました。翌日、彼は艦長の部屋を手術室のように準備し、ペンチを使って見事に問題の歯を抜き取りました。痛みが嘘のように引いた艦長は、「今までで最高の抜歯だった」とデマラを絶賛しました。 これらのエピソードは、デマラが「能力があるように見せる」という心理的な技術をいかに巧みに利用していたかを示しています。艦長の歯のような、注目度が高く、かつ象徴的な問題を自信満々に解決することで、彼は専門家としての揺るぎない評価を確立しました。この成功によって築かれた信頼は非常に大きく、後に彼が直面する究極の試練において、誰も彼の能力を疑う余地がなくなるほどの強固な土台となりました。彼は、人々の認識を操作する達人だったのです。
第5章:教科書通りの手術
究極の試練
その時は突然訪れました。16名から19名に及ぶ重傷を負った韓国兵が、次々とカユーガ艦内に運ばれてきたのです。手術室は、船の揺れから患者を守るためにテーブルを床に固定しただけの粗末なものでした。
そのやり方
命に関わる手術を前に、デマラの行動は常に同じでした。まず患者を手術台に運び、準備を整えるよう落ち着いて指示します。そして彼は自分の部屋へと姿を消しました。そこで彼は、映像記憶能力を最大限に使い、一般外科の教科書をものすごいスピードで読んで、これから行うべき手術の手順を頭に焼き付けました。彼が頼れるものは、この一夜漬けの知識と、以前別の医師を騙して作らせた野戦治療マニュアル、そしてたくさんのペニシリンと麻酔薬だけでした。
驚くべき手術
デマラが成功させた手術の内容は、にわかには信じられないものばかりでした。
- 胸部大手術: 銃弾が肺を貫通した兵士に対し、彼は胸の中を上手に閉じて命を救いました。
- 心臓手術: 最も驚くべき例は、心臓からわずか約6mmの位置に食い込んだ弾丸を取り出す手術でした。彼はこの手術を成功させました。
- 切断手術: 兵士の足を切断するという難しい手術も、見事にやり遂げました。
奇跡的な結果
信じられないことに、彼が手術した患者は全員助かりました。極度のプレッシャーの中での彼の手際は「氷のように冷静な集中力」と評されました。同僚の士官たちは彼の手腕に感銘を受け、勲章を与えるよう推薦したほどでした。 デマラの成功は、極限状態での能力に関する驚くべき真実を明らかにしています。それは、絶対的な自信が、時に自分自身で現実を作り出す予言となり得るということです。ちゃんとした訓練を受けていないということは、逆に言えば、本物の外科医を悩ませるであろう失敗への恐れや、あらゆる病気の知識から自由だったことを意味します。彼は教科書に書かれた手順を、何の先入観も不安もなく、機械のように冷静に実行しました。彼がこれほどまでに落ち着いていられたのは、自分が冒しているリスクの全てを理解できるほどの知識がなかったからかもしれません。この「無知の強さ」こそが、彼をためらいなく行動させ、結果的に奇跡的な成功へと導いた最も重要な要因であった可能性があります。
第6章:英雄の正体が暴かれる時
成功が招いた終わり
皮肉なことに、デマラを英雄にしたその成功こそが、彼の正体がバレるきっかけとなりました。カユーガに乗船していた一人の熱心な広報担当士官が、シル大尉の英雄的な活躍を記事にし、本国へ送ったのです。この話はカナダ国内、そして世界の通信社によってあっという間に広まりました。
お母さんの発見
その記事の一つが、ニューブランズウィック州の地方紙に載りました。そしてそれを偶然見たのが、本物のジョセフ・シル医師のお母さんでした。その時、彼女の息子は、遠い戦場ではなく、グランドフォールズの町で静かに診療を行っていたのです。
偽りの崩壊
事態を把握した本物のシル医師は、すぐに海軍に連絡しました。カユーガ艦のプローマー艦長のもとへ、「艦長のみ開封可」と書かれた暗号電文が届きました。「貴艦の医療将校が詐欺師であると信じるに足る理由あり。調査し報告せよ」。
疑いと告白
艦長をはじめ乗組員たちは、最初この電文を信じることができませんでした。目の前でたくさんの命を救った英雄が偽物であるなど、到底受け入れられる話ではありませんでした。問い詰められたデマラは、最初は「16件もの大手術を成功させる詐欺師がいるものか」と激しく反論しました。しかし、最終的には自分の正体を認めました。
静かなる退場
カナダ海軍は、深刻な問題に直面しました。完全な詐欺師を将校として任命し、さらには英雄として称賛してしまったという、組織にとって致命的な失敗です。デマラを軍法会議にかければ、この大きな失敗が世間に知れ渡り、海軍の威信は地に落ちるでしょう。その結果、海軍は彼を訴えないという決断を下しました。デマラは静かに艦を降り、名誉除隊扱いとなり、数百ドルの退職金と共にアメリカへ強制送還されました。彼の自由は、彼が無実であったことによってではなく、大きな組織が自分たちの過ちを隠したいという、組織を守る本能によって保証されたのです。
第7章:名声という名の重荷
詐欺師から有名人へ
アメリカに送還された後、デマラは自分の驚くべき物語を雑誌『ライフ』に売り、一夜にして有名人となりました。この記事は大きな反響を呼び、1959年にはロバート・クライトンによる伝記『The Great Impostor』が出版され、1961年にはトニー・カーティス主演で映画化もされました。
ハンツビルの看守
名声は、正体を隠して生きる詐欺師にとっては致命的でした。しかし、デマラは再び偽りの人生を強く求めます。彼は新しい偽の経歴を手に、アメリカで最も警備が厳しいとされるテキサス州のハンツビル刑務所で看守補佐の職を得ました。彼の仕事ぶりは評価されていましたが、その終わりはあまりにも皮肉な形で訪れました。ある日、一人の受刑者が偶然、デマラの特集が組まれた『ライフ』誌のバックナンバーを発見し、彼の正体を当局に密告したのです。
その後の人生と最後の役割
彼の晩年は、かつての華々しさとは対照的でした。ホラー映画に端役で出演するも、その演技はひどく批判されました。しかし、その一方で、俳優のスティーブ・マックイーンと深い親交を結び、1980年に彼が亡くなる際には、デマラが終油の秘跡を授けたという逸話も残っています。
チャプレンとして
彼の人生最後の、そして最も考えさせられる役割は、カリフォルニア州アナハイムのグッド・サマリタン病院での訪問チャプレン(牧師)でした。ここでも彼の過去はすぐに知れ渡りましたが、今回はこれまでと違っていました。彼の人柄に惚れ込んでいた病院の院長が自ら彼を擁護し、職に留まることを許可したのです。デマラは生まれて初めて、正体が暴かれた後も逃げることなく、一つの場所に留まることを許されました。彼は人生の終わりをその病院で迎え、1982年、心不全により60歳でその波乱に満ちた生涯を閉じました。 彼の戦後の人生は、詐欺師にとっての究極の矛盾を体現しています。彼が最も偉大な詐欺行為によって手に入れた名声は、彼から詐欺師としての能力を奪い去りました。スポットライトを浴びてしまったカメレオンは、もはやその身を守るための色を変えることはできませんでした。最後のチャプレンという役割は、彼の人生最後の巧妙な詐欺だったのでしょうか。それとも、生涯をかけてお坊さんや偉い人を演じ続けた男性が、ようやく心から落ち着ける役割を見つけたということだったのでしょうか。その答えは、彼自身の中にしかありません。
結論:天才的詐欺師のエピローグ
「ただの悪ふざけさ」
自分の奇妙な人生の動機を問われたデマラは、しばしばこう答えたと言います。「Rascality, pure rascality(悪ふざけさ、純粋な悪ふざけだよ)」。これは、深く自分を分析することを避けるための、人を食ったようなごまかしだったのでしょうか。それとも、スリルとゲームそのものに夢中になった男性の、驚くほど正直な自己評価だったのでしょうか。おそらく、その両方でしょう。
矛盾の男性
デマラの人生は、矛盾に満ちていました。彼は善いことをしたいと心から願いながら、その手段として悪いことである詐欺を選びました。彼は天才的な頭脳を持ちながら、それをまっとうな努力に向ける忍耐力がありませんでした。彼は社会的な尊敬を強く求めながら、最終的には不名誉が約束された道を歩みました。そして何よりも、彼は人々の命を救う手術を成功させましたが、その行為自体が命を危険に晒す、許されない賭けでした。
遺したもの
フェルディナンド・デマラの物語は、単なる奇妙な犯罪記録ではありません。それは、私たちの社会が資格や権威、そして「それらしい見た目」というものに、いかに脆い信頼を置いているかを暴き出す、一つの物語です。彼は、お坊さんの服、大学教授のツイードジャケット、そして海軍軍医の制服が、それを着ている人間そのものよりも、はるかに雄弁に信頼を勝ち取ることを証明しました。彼の生涯は根拠のない、しかし絶対的な自信が持つ恐ろしくも人を信じされる恐ろしい力の証として、歴史に刻まれています。SNSで強気な自信満々な発信をしているインフルエンサーが「デマラの生まれ変わりではないのか?」と疑ってみることも必要かもしれませんね。


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