序章:場末の酒場に潜む亡霊
時代は1932年7月のある午後、ニューヨーク市ブロンクス区のサード・アベニューに佇むトニー・マリノの無名の場末の酒場は、禁酒法時代の淀んだ空気に満ちていました。薄暗い照明、安物のウイスキーの香り、そして絶望に打ちひしがれた男たちの低い話し声。ここは華やかなジャズ・エイジの表舞台ではなく、時代の裏側でうごめく「ブラインド・タイガー(もぐり酒場)」の典型でした。
この日、店の主であるトニー・マリノ、葬儀屋のフランシス・パスクァ、そして食料品店主のダニエル・クライズバーグの3人が、グラスを片手に悪魔の計画を練っていました。彼らの視線の先にいたのは、マイケル・マロイ。床に酔いつぶれたこのホームレスの男は、彼らにとって「裏社会の酒場の激流に漂うがれき」にすぎず、その命は無価値で死は目前に迫っているように見えました。
計画は単純明快でした。マロイに生命保険をかけ、彼が死ねば保険金を手に入れる。しかし、この「完璧な」殺害計画は、歴史上最も奇怪で滑稽な失敗劇へと転じていくのです。名もなきアルコール依存症の男は、殺害計画をことごとく退けることで伝説の存在となり、一方で加害者たちは自らの無能さと浅はかさを露呈していくことになります。これは特定の時代と場所が生み出した人間の欲望と愚かさ、そして驚異的な生命力の物語です。
I. 汚れた舞台の登場人物たち:絶望の街
この事件は孤立した個人の悪意だけで生まれたものではありません。大恐慌と禁酒法という二つの巨大な社会的圧力が、ニューヨークを犯罪の温床へと変え、登場人物たちをこの悲喜劇の舞台へと押し上げたのです。
ニューヨークの窮状
1930年代初頭のニューヨークは絶望の淵にありました。1929年の株価大暴落に端を発した大恐慌は、街の活力を奪い去りました。ニューヨーク市の労働者の3人に1人が職を失い、多くの人々が「フーバービル」と呼ばれる段ボールや廃材でできたスラム街での生活を余儀なくされました。銀行は倒産し、人々は生涯をかけて蓄えた貯金を失い、家族は離散したのです。このような極度の貧困は人々の道徳観を麻痺させ、いかに邪悪であっても手っ取り早く金を手に入れる計画に魅力を感じさせる土壌を作り出しました。
同時に1920年に施行された禁酒法は、意図とは裏腹に、巨大な犯罪エコシステムを育んでいました。ニューヨーク市には数万軒ものもぐり酒場が存在し、マリノの店のような場末の酒場は「悪党ども」の巣窟となり、暴力や詐欺が日常茶飯事であったのです。 この時代、生命保険は遺族を守るための安全網というよりむしろ「世界最大の賭博のルーレット盤」と見なされることもありました。保険金詐欺は当たり前のように横行しており、マリノたちは自分たちの計画を犯罪ではなく、人の命を対象とした冷酷なビジネス投資と捉えていたのです。
標的:マイケル・マロイ、「ブロンクスのラスプーチン」
この物語の主人公マイケル・マロイは、自分自身でさえ過去をほとんど覚えていないような謎めいた男でした。アイルランドのドニゴール県出身で、年齢はおよそ60歳と見られていましたが、実際はもっと若かった可能性もあります。家族も友人もおらず、その存在はニューヨークという大都市の喧騒の中に埋もれていました。 かつては消防士や定置機関の技師として働いていたという記録もありますが、事件当時は住む家もなく、日雇いの掃除やゴミ拾いをし、その報酬を金ではなく酒で受け取ることを喜ぶアルコール依存症者でした。彼は近所ではおなじみの、哀れな人物にすぎなかったのです。
彼の悲劇性とこの物語の喜劇性を際立たせているのは、彼が自分に向けられた殺意に全く気づいていなかった点です。計画の初期段階として、マリノが酒をつけで飲むことを許可したとき、マロイは他の店との競争で店のルールが緩んだのだと思い込み、単純に喜んでいました。保険の書類に署名を求められた際も、マリノが市議会議員に立候補するための嘆願書だと信じ込み、喜んでサインしたといいます。彼のこの無邪気さこそが後に続く常軌を逸した出来事の重要な要素となるのです。
共謀者たち:欲望で結ばれたトラスト
後に「マーダー・トラスト(殺人信託)」とメディアに名付けられることになるこの一味は、プロの犯罪組織ではありませんでした。むしろ、彼らの職業が皮肉にもこの犯罪計画に適していた労働者階級の男たちの寄せ集めでした。
- トニー・マリノ(27歳):もぐり酒場の経営者。計画の中心人物であり、犯行現場と標的を提供しました。
- フランシス・パスクァ(24歳):葬儀屋。彼の職業は死亡診断書の扱いや死の偽装に関する知識をもたらしました。毒入りカキやイワシのサンドイッチを発案したのも彼でした。
- ダニエル・クライズバーグ(29歳):食料品店主。3人の子供の父親であり、後に「家族のためだった」と供述した彼は、大恐慌下で絶望した一般市民の姿を象徴していました。
- ジョセフ・「レッド」・マーフィー:バーテンダー。毒入りの酒をマロイに直接提供し、最終的に殺害現場となった自室を提供しました。
- その他:計画には、「タフ・トニー」の異名を持つトニー・バストーネや、ひき逃げの実行犯となるタクシー運転手のハーシー・グリーンなども加わっていました。
彼らの致命的な自信の源は、過去の「成功体験」にありました。1932年、マリノはマベル・カーソンというホームレスの女性と親しくなり、彼女に2,000ドルの生命保険をかけさせました。そしてある凍えるような夜、彼女に無理やり酒を飲ませて意識を失わせると、氷水を浴びせて開け放った窓のそばに放置したのです。彼女の死因は気管支肺炎と診断され、マリノは何の疑いも持たれることなく保険金を手に入れました。この成功が、彼らに「マロイでも同じことができる」という誤った確信を植え付けたのです。
この事件は、単なる5人の男たちの犯行として片付けることはできません。それはより大きなシステムの崩壊がもたらした悲劇でした。禁酒法という失敗した政策が、計画が練られる無法地帯(もぐり酒場)を生み出しました。経済の崩壊が、加害者たちの動機と被害者の極度の脆弱性を生み出したのです。そして、保険業界の慢性的な監督不行き届きがこの計画を実行可能に見せかけました。マイケル・マロイの殺害は、崩壊しつつあった社会が生み出した一つの症状だったも言えるのです。
表1:登場人物:マーダー・トラストとその関係者
| 氏名 | 年齢(推定) | 役割/職業 | 計画への主な関与 | 末路 |
| マイケル・マロイ | 60歳 | 元消防士/ホームレス | 被害者 | 1933年2月22日、一酸化炭素中毒により殺害 |
| トニー・マリノ | 27歳 | もぐり酒場経営者 | 首謀者、犯行現場の提供 | 1934年6月7日、シンシン刑務所で電気椅子により死刑執行 |
| フランシス・パスクァ | 24歳 | 葬儀屋 | 共同謀議者、死体処理と偽装を担当 | 1934年6月7日、シンシン刑務所で電気椅子により死刑執行 |
| ダニエル・クライズバーグ | 29歳 | 食料品店主 | 共同謀議者 | 1934年6月7日、シンシン刑務所で電気椅子により死刑執行 |
| ジョセフ・「レッド」・マーフィー | 不明 | バーテンダー | 毒物の投与、最終的な殺害現場の提供 | 1934年7月5日、シンシン刑務所で電気椅子により死刑執行 |
| ハーシー・グリーン | 不明 | タクシー運転手 | ひき逃げの実行犯 | 殺人未遂で有罪、最低10年の懲役刑 |
| トニー・バストーネ | 不明 | チンピラ | 暴力的な手段を主張、計画に関与 | 計画に関与 |
| フランク・マンゼラ医師 | 不明 | 医師 | 虚偽の死亡診断書を作成 | 不審死の報告義務違反で軽犯罪の有罪判決 |
II. 悪意の連鎖:不死身の男マロイの九つの命
マーダー・トラストの計画は、マロイの驚異的な生命力の前にもろくも崩れ去っていきます。彼らの試みは、回を重ねるごとにその残虐性と滑稽さを増していきました。
毒殺者の策略
最初の計画はマロイに酒を好きなだけ飲ませ、アルコール中毒で死なせるというものでした。マリノの店で飲み放題という夢のような待遇を受け、マロイは大喜びしました。彼はマリノが注ぎ疲れるまで飲み続けたが、その呼吸は安定し、顔色も普段通りの赤みを帯びていただけでした。 計画が失敗に終わると一味はより積極的な毒殺へと移行します。彼らはマロイの酒に不凍液、テレビン油、馬用の塗り薬、そして殺鼠剤を次々と混ぜ込みましたが、マロイはそれらを平然と飲み干しました。 業を煮やした彼らは、禁酒法時代に5万人以上の命を奪ったとされるメチルアルコール(木精)に手を出しました。しかし、マロイはこれも何杯も飲み干し、さらに酒を求めました。当時の新聞『ニューヨーク・イブニング・ポスト』は、「彼が何を知らないかは、どうやら彼を傷つけなかったようだ」と皮肉を込めて報じています。後に判明したことですが、彼の驚異的な耐性には科学的な裏付けがあった可能性があります。彼が同時に摂取していた通常のアルコール(エタノール)が、不凍液の主成分であるエチレングリコールやメチルアルコールの代謝を阻害し、毒性が発現するのを防いだのです。彼の「奇跡的」な生還は、皮肉にも彼が飲み続けていた酒そのものによってもたらされていたのです。
不快な食事
毒入りの飲み物が効かないと悟った一味は、食べ物へと標的を移します。葬儀屋のパスクァが、かつてウイスキーと共にカキを食べて死んだ男の話を思い出し、新たな計画を提案しました。彼らは生のままのカキをメチルアルコールに浸し、マロイに提供しました。マロイはそれを一口ずつ味わい、さらに毒入りの酒で流し込みました。 そして、最もグロテスクな試みが実行されます。パスクァはイワシの缶詰を数日間腐らせ、その中身に金属の削りくずやカーペットの鋲を混ぜ込み、サンドイッチにしてマロイに与えました。内臓が引き裂かれることを期待して見守る彼らの前で、マロイはそのサンドイッチを完食し、おかわりを要求したのです。
暴力と不運
度重なる失敗は、マーダー・トラストを精神的にも経済的にも追い詰めていました。飲み放題の酒代、毒物の購入費、そして毎月の保険料の支払いは、マリノの店を破産寸前にまで追い込んでいたのです。この焦りが、彼らをより直接的で暴力的な手段へと駆り立てました。 氷点下まで気温が下がったある凍てつく夜、一味は酔いつぶれたマロイをクロトナ公園まで運び、ベンチに投げ出しました。そして彼のシャツを剥ぎ取り、5ガロン(約19リットル)もの氷水を胸に浴びせかけました。翌日、彼らが絶望の中で店を開けると、そこにはマロイがいたのです。彼は「少し寒気がする」と不平を言うだけでした。一味が知る由もなかったが、彼は警察に発見され、慈善団体に保護されていたのです。 ついに、一味はタクシー運転手のハーシー・グリーンを150ドルの報酬で雇い、ひき逃げを計画します。彼らはマロイを泥酔させ、路上に引きずり出しました。グリーンは時速45~50マイル(約72~80キロ)でタクシーを疾走させました。驚くべきことに、酔っ払っていたはずのマロイは、最初の2回の突進を身をかわして避けたのです。しかし3回目、車体はマロイを捉え、鈍い衝突音が2度響きました。一味は今度こそ成功したと確信し、その場から逃走しました。 彼らは数日間、死体安置所や新聞の死亡記事を確認し続けました。そして5日後、別の酔っ払いをマロイの身代わりにして殺害する計画を立てていると、酒場のドアが開き、そこには「ボロボロで包帯を巻いた、いつもより少しだけ見栄えの悪いマイケル・マロイ」が立っていたのです。彼は頭蓋骨を骨折し、複数の骨を折る重傷を負いながらも、3週間の入院を経て生還したのです。 マロイのこの驚異的な回復力は、加害者たちに直接的な影響を与えました。マベル・カーソン殺害で得た彼らの自信は完全に打ち砕かれたのです。失敗を重ねるごとに経済的な絶望は深まり、彼らはより大胆で、より公然とした、そして最終的には自滅的な行動へと追い込まれていきました。マロイの生存は、単なる受動的な出来事ではなく、加害者たちを破滅へと導く積極的な力として作用したのです。この物語は、まるでアニメーションのように、悪役の巧妙な罠がことごとく無邪気な主人公の前で失敗に終わるという、ダークな喜劇の構造を持っています。この殺人計画の意図と、その実行における驚くべき無能さとの間に存在する巨大な隔たりこそが、この事件を単なる猟奇殺人から、恐ろしくも滑稽な伝説へと昇華させた要因でした。
表2:マイケル・マロイ殺害未遂
| 試み | 時期(推定1933年1月~2月) | 手法/使用物質 | 意図された結果 | 実際の結果/マロイの反応 |
| 1回目 | 1月 | 無制限の飲酒 | アルコール中毒死 | マリノが注ぎ疲れるまで飲み続けたが、健康に異常なし |
| 2回目 | 1月 | 不凍液、テレビン油、馬用塗り薬、殺鼠剤 | 毒殺 | 全て飲み干したが、何の影響も見られなかった |
| 3回目 | 1月 | メチルアルコール(木精) | 毒殺 | 大量に飲んだが酔いが回っただけで、翌日も元気に来店 |
| 4回目 | 1月 | メチルアルコール漬けのカキ | 食中毒による死亡 | 美味しそうに平らげ、さらに毒入りの酒を飲んだ |
| 5回目 | 1月 | 腐ったイワシ、金属片、カーペット鋲入りのサンドイッチ | 内臓損傷による死亡 | サンドイッチを食べ終え、おかわりを要求した |
| 6回目 | 1月下旬 | 氷点下の夜に公園で凍死させる | 凍死 | 翌日、酒場に現れ「少し寒気がする」とだけ訴えた |
| 7回目 | 2月 | タクシーによるひき逃げ(時速72-80km) | 事故死 | 3週間の入院(頭蓋骨骨折など)の末、生還 |
III. 最後の息吹:むさくるしい部屋での成功
ひき逃げからも生還したマロイの姿を目の当たりにし、一味は自分たちの失敗が公になるのも時間の問題だと悟りました。彼らは、最後の、そして最も確実な方法でマロイの息の根を止めることを決意します。 1933年2月22日の夜、酒場で意識を失ったマロイは、ジョセフ・マーフィーが住むフルトン・アベニュー1210番地の部屋へと運ばれました。そこで彼らはゴムホースの一端を壁のガス栓に繋ぎ、もう一端をマロイの口に無理やり押し込んだのです。 ダニエル・クライズバーグがバルブをひねると、ガスが漏れる「シュー」という音が部屋に響いたと、彼は後に証言しています。1時間も経たないうちに、マイケル・マロイは一酸化炭素中毒でついに息絶えました。 計画の最終段階として、葬儀屋のパスクァが手配を行いました。彼は腐敗した医師フランク・マンゼラを呼び出し、報酬と引き換えに死亡診断書に署名させました。死因は「大葉性肺炎」、アルコールがその一因と記されています。マロイの遺体は急いで埋葬され、マーダー・トラストは3,576ドルの保険金を手に入れる準備を整えました。
IV. アベニューの囁き:トラストの崩壊
マーダー・トラストの崩壊は、警察の鋭い捜査能力によるものではなく、彼ら自身の自慢話と、彼らが生み出してしまった信じがたい物語が原因でした。「不死身のマイク」、決して死なない男の物語は、ブロンクス中のもぐり酒場で人気の噂話となっていたのです。 警察はこの奇妙な噂を耳にし、その当の本人であるマイケル・マロイが突然「肺炎」で死亡したことを知ると、強い疑念を抱きました。 当局はマロイの遺体を掘り起こすよう命じました。当時最先端の法医学を導入していたニューヨーク市検視局による検死が行われ、真実はすぐに明らかになりました。マロイの肺は石炭ガスで満たされており、死因が肺炎ではなく一酸化炭素中毒による他殺であることは明白でした。こうして、彼らの計画は完全に破綻したのです。
V. ニューヨーク州対マーダー・トラスト
主要メンバー5人は逮捕され、裁判にかけられました。この事件はメディアの格好の的となり、新聞は彼らを「マーダー・トラスト」と名付けて大々的に報じました。警察の報告書や法廷記録に基づいた裁判は、この陰惨で信じがたい物語の全貌を、固唾をのんで見守る大衆の前にさらけ出しました。 証拠は圧倒的であり、陪審は有罪評決を下しました。 共謀者たちの運命は以下の通りでした。
- ハーシー・グリーン(運転手):ひき逃げによる殺人未遂で有罪となり、最低10年の懲役刑を宣告されました。
- フランク・マンゼラ医師:事後従犯として起訴されましたが、最終的には「不審死の報告義務違反」という軽犯罪での有罪判決にとどまりました。
- 中心メンバー4人:トニー・マリノ、フランシス・パスクァ、ダニエル・クライズバーグ、そしてジョセフ・マーフィーは、全員に死刑が宣告されました。
1934年6月7日、クライズバーグ、マリノ、パスクァの3人がシンシン刑務所の電気椅子で処刑されました。ジョセフ・マーフィーも同年7月5日に同じ運命を辿りました。一人の男を殺すために何ヶ月も悪戦苦闘した彼らは、その被害者とは異なり、あまりにもあっけなく死んでいったのです。
結論:マイケル・マロイの不滅の伝説
生前は誰にも顧みられることのなかったマイケル・マロイは、死によって奇妙な注目を手に入れました。彼の物語は単なる犯罪実録を超え、アメリカの民間伝承の一部となりました。それは人体の驚異的な回復力への賛歌であり、同時に欲望と無能さがもたらす危険についての、ダークでコミカルな寓話でもあるのです。
この物語は、その強烈な魅力ゆえに、時代を超えて語り継がれてきました。サイモン・リードの『On the House』やデボラ・ブラムの『The Poisoner’s Handbook』といった書籍、テレビ番組『世にも不思議なアメージング・ストーリー』や『True Nightmares』、ポッドキャスト『Criminal』や『Morbid』、さらにはミュージカルや演劇の題材ともなっています。


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